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人生は自分のもの。命はみんなのもの。

松ちゃんの「しくじり先生」が神回すぎた!

 しくじり先生、といえば失敗学のビデオラーニングのパイオニア(^_^;)、みたいな番組ですね。
ここに松ちゃんこと松村邦洋さんが登壇しました。

東京マラソンで心肺停止になって、二日後に意識を取り戻したのですね。私、AEDで助かって〜程度で記憶していたのですが、二日間も意識不明だったとは知りませんでした。
 

そして松ちゃんの教訓、「人生は自分のもの。命はみんなのもの。」東京マラソンで倒れた時に助けられ、多くの人に心配されたことから得た教訓。
それ聞いた時、ここに生きる真理があるのだと、ハタと気付かされました。

自分の人生だから、自分の責任で歩め。他人が奪う権利もなければ預けても依存してもならない。その必要もない※自分の人生奪われてませんか?奪ってませんか?

だけど、与えられた命は、自分のものだと過信するな。自分のものだからと粗末にするな。一人で生きていると思うな。大きな勘違いをするな。
ここに、”自殺しちゃいけない”明確な理由が見えます。
 
命は誰のもの? 

 人生と与えられた命を分けて考えると、歩むべき人生は自分で歩み、与えられた命は、みんなの命。なのです。誰かのためだけの命ではなく、みんなの、命なのです。
誰かが亡くなると、悲しいです。それは、その人に会えなくなることもそうですが、ひょっとしたらみんなで共有している命のひとつが、消えてしまったから。なのかもしれません。でももし、その故人が”その人らしく”人生をまっとうしていたのならば、これは腑に落として冥福を祈るべきなのだと思います。
逆にまっとうできていなかったのであれば、それは残された人々が悔やまれてしまうことになります。
そう考えると、だからこそ自分の人生を歩み、葬式にでも「あの人はあの人らしい人生歩んでいたね」と言われるような人生を送りたいものです。
そう考えると、人生も他人との共有物なのかもしれません。

そして我々は生きるために”いただいてます”ね。「いただきます」は「”命を”いただきます」につながります。自分の命をつなぐために、他の命を絶ち切り、いただいてます。
と、ここまで勝手に妄想して深く理解したのですが、合ってますでしょうかね!?

久々に子供に会ってそんな話をしたらちょっとだけ分かってくれました。でもここまで理解するのはもっと人生重ねないと難しい宿題かなぁ(^_^;)なんて。

でもシンプルに考えるならば、人生は自分で歩み、命を粗末に(殺める、おびやかす)な。勝手に死ぬな。ってことですね。
健康でいないことも、”命をおびやかしてる”ことですよ!不健康に生きていませんか!?それって、みんなのもの、粗末にしていることなんですよ!ささ!私も命を粗末にしないためにも、もうちょっと健康に生きよう!

無駄と考えることが1番無駄である

ISHIKAWA-LABOにお邪魔させていただきました。
 先日、会合までにちょっと時間があり、三島YEGのメンバーである石川さんのお店が視界にチラリ。あ!寄れる!まさにこのタイミング!とISHIKAWA-LABOにとお邪魔させていただきました。
ガラスのドアを開けると、まさに石川ワールド。さすが業界に長く精通されている世界観とストーリーがあります。
ちょっと立ち寄り話くらいで寄らせていただきましたが、コーヒーとお菓子までいただいてしまい、おもてなしも最高!
その時交わした会話のなかから、↓のような気付きをいただきました。
行動することによってよかったのか悪かったのか、必ずどちらかがはっきりわかる。
すなわち”無駄かもしれない”という考えこそが1番の無駄であると気付きました。
 
石川さんとのわずかな会話でしたが、熱いオトコに引き出されてしまいました。こういう気付きって二言三言でもちゃんと出てくるのですね。びっくりしました。

実はこの”立ち寄れる!行こう!”という行動も、お話しできるチャンスがあるかもしれないし、例えば来客中でお話しできないかもしれない。どちらかの結果が潜在しているはずです。
それを、”たぶん忙しいだろうな”、”もう夜で閉店するだろうからお邪魔になるだろうな”と考えてしまうことこそが無駄であって、むしろ「会いたいなら行動すればいいじゃん」が正解なのだと思いました。
つまり、下手な考え休むに似たりなのでしょうね。(よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄だということ)下手な考えするなら、行動せよと。行動して思考よりも早く結果を出してしまえ!ということでしょうか。 
もし、躊躇するようなことがあれば行動してみてください(^^) 

新入社員、新入、侵入社員!その2

新入社員いる”つもり”エール!
 時々思います、面倒見の良くない先輩社員というのは、愛の鞭なのか、それとも単なる無知なのか。失礼しました。それでは昨日のつづきです。

どうせ滅亡するんでしょ?という気持ちがあると気が楽に
 不本意ではありますが、こう思うと怖いもの知らずで生きられます。人類滅亡研究家、として助言しておきます。
日本民族は、このまま少子化を続けると、あと10世紀足らずで滅亡します。
滅亡が目の先に見えてるなら、こんなくだらないことでくよくよしてるヒマないじゃん!それよりもっと子供増やす方法考えようぜ、先輩!
と、先輩に言ってしまうと総スカン喰らいますので、思う程度にしましょう。
要は先輩、一生懸命いびってくるけど、そんなの民族滅亡に比べたら小さすぎるじゃん!くらいの気持ちに落とし込むと、イヤな気分が遠くに転がっていきます。
いや、滅亡についてはもっと真剣に考えてもらいたいのですよ!認知のきっかけとして引き合いに出しましたが、若手がこれから結婚して子供を増やすチャンスが諸先輩方よりも多分にあるのです!
そうか!若い方が重宝されるんだ!なんて調子こいても総スカンですから!
もし、嫌なことがあったら、「ありがとう」を唱えてみてください。唱え方はコチラから→勇者は「ありがとう」を唱えた!

宗教の世界では、この世が”あの世”
 解釈は様々ですが、今生きている私たちの世界の方が「あの世」である。というのがメジャーでしょうか。
仏教だと自心所現の幻境、サンスクリット語ではアバターといった言葉があります。
つまり今の世界は仮に生きている世界である。ホントの世界はあの世の方である(映画マトリックスを思い出します)。
私も何か壁にぶつかった時、うまくいかなかった時、思うような成果が出ない時、この世はあの世なんだ。だからきっと何か試されてるんだ!なんて思って気持ちを切り替えます。
また、家族もきっと何かの巡りあわせで一緒になった魂の集合。あの世に戻ったら離ればなれになるかもしれないから、家族の時間を大切にしよう。なんてのも思ったります。
ちょっとスピリチュアルな世界観ですが、要は小さなことにくよくよする、執着する方が時間もムダですしココロを削ぐことになります。
そんなことしてる時間はないのです。そんなことしてるくらいなら、日本が滅亡せず繁栄の裾野を広げられるよう、恋をして結婚して子供作って幸せに育て上げてからさっさと天寿を全うしてください!何もせず孤独に死することだけはもう許されない時代なのです。

勝手に新入社員エール
 周りに新入社員がいるわけでもない私の、新入社員への勝手にエールでした。もし、みなさんの周りに新入社員がいるようでしたら、そっと「サナギになれ」、「日本、滅亡するかもよ」、「ありがとうを唱えて」、「この世はあの世みたいよ」と囁いてやってください。きっと先輩のイミフ発言に、喰い付いてきてお喋りするきっかけになるはずです。
ただし私は、その相手が(今年は)おりませんから! (T_T)

新入社員、新入、侵入社員!その1

切り替わりの時期に
 みなさんの会社に新入社員はいらっしゃいますでしょうか?
前職で部署紹介のメッセージに、新入社員の「新入」を「侵入」なぞらえて、”新しい風を吹き込む侵入社員を歓迎します!”なんてエール送ったりもしました。フリーランスなので当社には新入社員はおらず、このブログも社会人デビューしたコが読んでいるとは思ってませんが、「新しい環境に入ること」について書いてみたいと思います。

完全変態を自覚すると、気持ちのシフトチェンジがしやすい
 いきなりですが性癖の話ではありません。幼稚園生の頃、「虫博士」の異名をとっていた私より、虫に例えてみたいと思います。
蝶や蛾、カブトムシなどサナギになる虫は、サナギから成虫になります。幼虫→サナギ→成虫のステップを踏む虫は「完全変態」といい、カマキリやセミなどはサナギにならないため不完全変態といいます。
そして完全変態の虫は、サナギの時、筋肉が液化して1度ぐちゃぐちゃになります。そして成虫のカタチになり、サナギの殻を脱いで羽化するのです。
※幼稚園生のころ、もらったカブトムシのサナギが気になって気になって、掘り起こすために土をかき混ぜて全滅させてしまった私の教訓でもあります(^^ゞ
完全変態する虫は、幼虫時は”より多くの餌を食べて大きくなるのが目的”で、成虫時は”子孫を残すことが目的”です。つまり姿カタチで目的が違うのです。

新入社員は今、おそらくサナギの時期を迎える頃です。

幾重もの面接を乗り越え、内定をゲットし、いざ社会人デビューしたら思っていたのと違う!そんなショックばかりかもしれません。むしろ、期待通り!なんてマインドの方がどれだけ就職した会社の内部知ってるんだよ!とツッコんでやりたくなります。

そらそうです。社会という環境に飛び込んだ時は、幼虫期のマインドセットなのですから。
これを環境適応させなければなりません。そうです、サナギになるのです。
そしてサナギになった時、気持ちを液化させてぐちゃぐちゃになり、成虫のカタチに形成しなければなりません。
この”ぐちゃぐちゃ”が今までとは違う環境でこれからやっていくという「自覚」です。
この自覚は新入社員だけではありませんね。環境が変わったりした人も同じです。

私も昨年、そうでした。転職・引っ越しもろもろマックのバリューセットのように1プレートに乗せてしまったものですから、東京にいた頃のマインドセットからなかなか抜け出せませんでした。
仕事も業界・業種違いでほぼゼロスタートから。カンタンに仕事を取ってこられるわけでもありません。
胃が荒れて気持ち悪くて、何度も吐きそうになりました。この時、私の中で”ぐちゃぐちゃ”になったのでしょうね。
それでもイヤだとは思いませんでした。自分で選んだことですし、何より初志貫徹、仕事とそれ以上に成すべきことがあって地元に帰ってきたのですから。

私のことはさておき、この時期、虫博士から見れば新入社員たちはサナギ期を迎えようとしているはずです。まだ学生という「幼虫」のままなのです。
そして成虫になる・なった自覚をするのはゴールデンウィーク明けくらいでしょうか。連休にうまく羽化すれば新人研修後半戦もへっちゃらでしょうね。でも、サナギにならなかったり、羽化しなかったりするとゴールデンウィーク明けの5月病になったり、入社3ヶ月で辞めてしまったりするのでは?なんて思いました。

諸先輩方には大変申し訳ないのですが、先輩方が幼虫から根性で一気に成虫になったようなケースは今の時代には早々出くわせません。諸先輩方はいわば不完全変態です。
今の新入社員がサナギになった!と思ったら、成虫になれるよう見守ってやってください。応援してやってください。(観察、ですね)決して土から掘り起こしたりかき混ぜたりすることがないようにしてやってください。※それは単なる変態行為です。

ということで新入社員は気持ちを一旦ぐちゃぐちゃになるくらいリセットするんだ!という自覚。諸先輩方はサナギになるのを見届け、成虫になるまで応援。虫が苦手な先輩は、無理に幼虫ぷにぷにせず、別の後輩に任せましょう!(^^)
ということで新入社員への勝手にエールはつづきます。

10分だけおやすみください!※ただし脳に

瞑想、したことありますか?
 いきなり瞑想と書くとハードル高そうに聞こえるので、「脳ミソ、休めてますか?」と
問います。こっちの方が難しいですか!?どっちもそうですね。脳を止めるなんて
仙人でもなし得ません!?

脳は心臓や肺の呼吸と同じように、24時間活動を続けています。
脳には色々な情報が絶えずインプットされてきて、寝ている時は主が休んでいることをいいことに(!?)暴走してます。この暴走が夢を見ていることにつながっているのです。
心臓や肺は動きを止めてしまうと苦しくなるので、これはやっても仕方ありませんが、脳は時々休めてあげましょう。

方法は脳のインプットを止めて考えることを一時的にストップするのです。
これも難しいですね。だって、耳に入ってくる音などで、もうインプットしてしまっているのですから。
脳を休める=瞑想になるわけですが、本格的にやろうとするとインドの僧侶とかになってしまいそうなので、私は簡易的なやり方で瞑想してます。
手順はこうです。
1.テレビなどは消し、静かな環境を作る。
2.体はリラックスし、仰向けに寝る。
3.目を閉じ、鼻で呼吸する
4.意識を鼻呼吸に向ける
鼻呼吸に意識を向ける、集中する、ここがミソでして。つまり呼吸は無意識的にしていることなので、とりあえず呼吸以外に意識が向かないようになります。
この4ステップで5分も続ければ軽い瞑想状態になります。10分も続けると脳がスッキリ!
それと深呼吸も良いそうですね。ということは普段無意識でしている呼吸は酸素足りてない!?ヨガ式の深呼吸など、ちょっと今度試したいと思います。
脳がスッキリし、眠気もぶっ飛びます。脳が空っぽになったところで、また新たなインプットがサクサクできますよ!
昼休みの眠たい時におためしあれ!(私はそのまま昼寝に移行しちゃいますが)
 

秘め事が多いのは日本だけ!?

「人生」というカテゴリーも勉強したいのです
 最近思います。体力がこんなにも落ちるだなんて知らなかったと。筋力・体力・精力など、考えてみると活動の源泉なのですね。ガソリンです。プロゴルファーの青木功さんが「心・技・体」の順ではなく、「体・技・心」つまり、健全な体が作られてないと技も心もない。とテレビのインタビューでおっしゃっていました。
そう言われると、気持ちの切り替えやマインドセット、ポジティブ思考など体調不良時にうまく気持ちを乗せられません。”ポジティブだけ思考”なんて名乗ってますが、体壊すととたんに甘えん坊モードですね、私の場合。笑って乗りきれるさ!ワッハッハ!なんて気持ちにはなりゃしません(^_^;)

勉強の知識はたくさん教える教育にも、グーグルの20%ルールみたいに(今はやってないみたいですが)勉強以外の「世に出てから役立つ知識」を教えてほしかった、と大人になってから思ったものでした。
具体的に挙げたら、例えばこんなことでしょうかね。
祖父から孫への “人生で学んだ18の教訓が詰まった最後の手紙”
人が死ぬ前に後悔する20のこと
子供からすれば親しい人の”爺ちゃんの格言”的な言葉はほしいはずです。なぜならその短い言葉にその人の人生が詰まっているからです。
私のおじいちゃんも実は凄い人揃いでした。そしてそれを知ったのはお葬式の時。孫が大好物で何にしてもニコニコしてたおじいちゃんだったのに、実は~が出てくるのはあの世に行ってから。ズルいよ爺ちゃん!もっと話したかったYO!

社会人啓発ビジネススクールを開校!
他にも例えば社会に出たてのコをカモにする怪しいビジネスあったりするじゃないですか。無知であるがためにそれが正しいと信じこんでしまった、いわば”タマゴから孵ったヒナ”状態であると思うのですよ。あ!そういう啓発スクールビジネスやろうかな!?爺ちゃん婆ちゃんと組んでやるかな!その方面の方々には刺されそうですが(^^ゞ
大人は子供に内緒事が多くて、大人といっても壮年は青年に内緒事が多く、中年は壮年に内緒事があって、初老は中年に内緒事してて、老人は。。。アレ!?こんがらがる!とにかく人生の先輩は、先輩の状況を積極的に教えるべき!なのだと思うのです(^_^;)
この先こうなる、こうなる、だからこうしろ。というのは、人生の醍醐味を損ねるからあえて言わないのでしょうか?

でも1つだけ教えてほしくないことがあります。
それは先輩型の夜の性活です。(ウソです、聞いたらどっちに転んでも引きます)
それは人生の秘密です。こればかりは自分で探します。
もし、あなたが格言を残すなら、何て書き置いてこの世を去りますか? 

壮年は31-44歳を指すそうです。意外と若い年齢を指すのでしたか!勉強になりましたわ~ 

社会はみんなのため

子供と清掃作業をして思うこと。
 先日、フェイスブックにもさわりだけ書いたので重複する部分もありますが、こんなことがありました。
※コピペしちゃいます。
夕方の散歩の時、次女と愛犬と近所の公園まで行きました。
公園の広場にパッと目を配ると、ペットボトルやらお菓子の容器が散在してたんですね(>人<;)
ブランコしながら次女に
「ゴミが散らかってるね、どう思う?」
「だめだねー」
「じゃあどうしたらいいと思う?」
「片付けた方がいいと思う」
とゆーことで2人でペットボトル4本とお菓子(ソフトクリーム)の容器とスプーンをいくつか回収しました。
愛犬のエチケット袋の予備があったのでゴミはまとめ、ペットボトルは手で持ち帰りました。
思ったことは今夜ブログにまとめます。
それと今後はもう一回り大きいビニール袋を持って散歩に出かけたいと思います(^ ^)
 

ま、日常ありがちな光景。といったらそれまでなのですが、NPOサプライズ飯倉さんが以前おっしゃっていた、”ゴミ拾いを始めたきっかけと同じような光景”が自分の眼前に広がっていたのです。→NPOサプライズの清掃活動はコチラ
見過ごすか、行動するか。考える必要なんてありませんでした。0.1秒、いや0.000001秒で「片付けよう」と思いました。
公共の場所だけでなく社会はみんなのものです。みんなのもの、というと所有物のようですので言い換えると”みんなが利用するものです。プライベートの場所・モノ以外は、すべての人の利用機会を内在しているのですね。
それと捨てていない自分があえて片付けることには、「割れ窓理論」のことも頭によぎりました。(ニューヨークの地下鉄で落書きを一掃したら犯罪が激減した)
子供も利用する公園をキレイに安全に使いたいのは、私だけではないですからね。
それに前述の子供に聞いたら片付けるという意見も尊重し行動に移したわけです。
ゴミをまとめ、最初近くのコンビニのゴミ箱に捨てようと思いました(拾った容器がおそらくそこのコンビニのものだったので)。でも止めました。コンビニのゴミ箱に処分することはカンタンです。でもそうでない気がしたからです。自宅に持ち帰ってペットボトルは水道で洗い、潰しました。

他人の尻ぬぐいをやる必要はあるのか
 街や社会は”みんなのため”なんてあえて考えること、30を過ぎるまで考えたこともありませんでした。”みんなが使うから自分もちゃんとしよう”というとなんだかおこがましくて逆説がはびこっているなら自分もちゃんとしなくていい。なんて考えも起きてしまいそうです。
それよりも、”みんなはそうは思ってないかもしれないけど、自分からちゃんとしよう”と考えると、他人のエゴなんてどうでもよくなり、逆に賛同している人がいれば共感し合流できると思います。
”ゴミを拾うのはゴミを捨てた人”ではなく、”ゴミを拾うのは自分の社会を安心して利用するため”くらいに思って行動すると、”誰かのため”と”自分のため”がセットになっていて、行動にも葛藤は現れないのだと思います。
何より、ブログのタイトルどおり、「社会をよくしたい。楽しくしたい。」そう思っていることが行動になっているだけなのかもしれません。
”人間は思ったことしか実現しない”なんて時々聞きますが、最近思うのです、もっと自分にはやらなくてはならないことが他にたくさんあるのではないか。今、生きていることが成すべきことを成していないのではないか。自問自答の日々です。 

最近の若けぇそうにもねえヤツぁ。。。

新しき乏しき、なんとも意識の低い文化
 先日、仕事で電車移動しました。静岡の私鉄、まっ昼間。思いっきりローカルな路線です。
ふた駅くらい後から乗ってきたオジサマのカバンから携帯電話の着信音。ゴソゴソして電話切るのかと思いきや、電話出ちゃいました。
※着信時にキャンセルした時に鳴る、「ピーピーピー」という音もどうなの!?って思うのですが、アレから気になりませんか!?
え!?未だにわきまえないオトナがいるの!と直感的に走りました。
本を読んでた私は、こやつ、いつ電話きるのだ!?話してる相手は仕事の取引先の模様。てゆーか相手も電車の音くらい聞こえてるでしょ!?
と、せっかく本を読んでたのに、意識がそっちに飛んでしまい、気になって文字が頭に入ってきません。
電車内で電話してる人がいると、一気に空気が変わります。当然でしょうが電話してる人にはわかりっこありません。電話に必死です(^_^;)
マナーもモラルも無視したこの大人が同じ車内にいるとゆーだけで何故か理不尽な気持ちです。
また、注意や停車時に追い出すとゆーことができてない行動力のなさにも何故かヘコみます。
要はそれだけ悪影響に迷惑なのです。
人生の先輩からこんなでは、若いのもよろしく見習ってしまいます。”最高の若けぇヤツぁ”なんて言えたものではありません。先ずは先輩から、直して下の世代に降ろしたいものです。

こんなのアプリで一掃できるのに!
昔、電車など電話がとれない場所にいた時にかかって来た際、アプリで対応する、なんてことを考えました。
要はこちら側は相手の言葉を聞いて、定型の言葉、例えば「はい」、「いいえ」、「了解しました」などをタップすると会話せずともアプリが電話先に発声してくれる。これなら周囲に迷惑かけず、会話が対処できます。
iPhoneだと、”後でかけなおします”といったショートメール返信ができますが、これは会話しない目的。片手落です。
コミュニケーションエージェント的なアプリってできないものかな、とここ5年くらい思ってたりするのです。
出てこないということは、OS側で通話のやりとりに関与できないようにしてしまっているのか!?標準実装してもらえるとこんなくだらないマナー、カンタンになくなるのに!
とはいえ、電話とる方もかける方も気づかいするのは常識です。ビジネスマンなら、堂々と出られる状況ではなかったといえる人になりましょう!(^^)

未来の津波の爪あとのよう

DATAFILE.JPNが更新されてました。
 NHKのNEWSWEBがまとめている、「DATAFILE.JPN」3回目がアップされていました。
余談ですが、このサイトを知ってから番組の録画予約してたのですが、毎週流れていない曜日を予約録画してたようです。3回目のタイトルは「未来の津波に襲われる」です。
東日本大震災で被災した東北地方の人口減少を皮切りに、”新たな住民流出”として静岡県が取り上げられています。
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出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html
沿岸部の自治体で人口流出が顕著に伺えます。
そして次に、この3年間で2400人位上が転出した焼津市。市の調査で転出した方にアンケートをとったところ、31%の方が「地震・津波」に対する不安から転出したとの回答をまとめています。

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出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html
一方で流入先となったのが同じ静岡県の藤枝市清里地区。新興住宅地でもあります。
3年前の1023人からほぼ倍の1979人。学校の教室が足らなくなる事態が起きているそうです。
まさか県内で人口のバイアス(偏り)が起きているとは思いもよりませんでした。

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 出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html
同じような影響を受けているのは静岡県だけではありません。
南海トラフ地震特別強化地域でも消防本部の移転や、沿岸部の企業移転を自治体が高台を用意して地域外移転を食い止めたりといった影響が出ています

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 出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html

まるで、津波が去った後のよう
 言い方悪いのですが、まさにタイトルどおり「未来の津波」に襲われた後のようです。
地域の魅力だけでは引き止めにくい問題です。
私が子供の頃、東海地震がいつか来る、という名のもとに防災訓練は頻繁に行っていました(今でもそうですね)
ところが東日本大震災、南海トラフ地震という名前がクローズアップされるようになってからは、東海地震という名前は聞かなくなり、より広域で対策するようになりました。静岡県としてできることがあるのならば、こういった防災訓練の文化を広げて意識を高めることはできるのでは、と思いました。
 

子供の成長に思うこと

子供を授かることは喜びと大罪を同時に受け取ることだ
 長女と次女は年齢が7つ離れているので、生まれてきてからは次女とそのファンの家族。というような立ち位置でしたので、姉妹でケンカもなく(というよりもお姉ちゃんが一方的にやられてますが)、楽しく過ごしています。

7つ離れているというのは、「となりのトトロ」のサツキちゃんとメイちゃんの年齢設定と同じです。キャラクター的にも2人は似ていると思います。しっかり者のお姉ちゃんにおてんば娘の次女なので、映画とそのままです(^_^;)

私は12年前に親となってその当時から思っていましたが、子供の成長は嬉しい半面、寂しい一面もあるのです。
これは女の子を持つ男親の方なら理解してもらえるでしょうか。寂しいなんて口にできませんから、ここに書き残す程度にしておきますが、「大きくなったらパパと結婚する!」なんて言っていた子供がだんだん大きくなってきて少しづつ大人に近付いてしまうのは、正直言って寂しいです。

親として可愛くて仕方ない、手を離したくないのに成長とは皮肉なもので喜ばしい分、離れていくのを実感するのも事実です。そう感じる時、なんて大罪を背負ってしまったのだと思うこともありました。
だからもう1度!というわけでもありませんが、2人目でリスタートしたかったのもココロのどこかにあったのかもしれません。

次女が家族にやって来た時は、”早く大きくなって家族で遊べるようになるといいな”と思うようにしてましたが、いざ幼稚園生になると1抹の寂しさがちょっとだけ過ぎりました。
ここで謝っておきます、私は子離れできないのかもしれません。

「自分さえよければいい」人間から滅びてゆく
それでも思うのです。この世をこのまま子供たちに引き渡してはならない、と。
社会には課題が山積みです。そして今の大人たちは”解決できないことは放置しておこう”という空気が流れています。
「諦めずに最後までやればできる」と教えている大人が早々に諦めている。それと損得で先ず考えて振り分けている。

例えば私の関心事である少子化問題。人口はこのままでは減る、首都圏にばかり人口が集まり地方が疲弊していく。じゃあ移民を受け入れよう。
いやいやまだできることたくさんあるでしょ!?これから多くの産業が衰退していくのなら危機感のない企業に働きかけることだってやってないでしょ!?
移民で溢れかえる日本を、子供たちに継承することを許せますか?だったら子供が増えて幸せな環境で育つ社会を今からでも作り上げてから死んでも遅くはないはずです。

少なくともこの先、今と同じ社会は形成できません。未来の利己主義者は自分の首を締め、足元をすくう、というより足元を無くすでしょう。逆に協力が未来に光を照らすのだと思います。日本社会に関わる全てが協力し合えば、解決の糸口を掴めると信じています。 
よりよい社会になるきっかけを残して死ぬのか、これが未来の課題だと無責任に問題を先送っておくのかは今の大人にかかっていると思います。
子供の寝顔、遊ぶ姿を見ていると、まだ死ぬ気で頑張れるな、と思ったりするのです。