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ハナシのススメ方

子供に教えてみました。
 小学校4年生の長女、3学期の最後のイベントでスピーチ大会があるから聞いてほしいとのことでした。
1語1句間違えないように、正確に原稿をスピーチしようとするのですね。オマエ、舞台俳優かってくらい(^^ゞ
今回は原稿通りに間違えず話すわけではない。原稿は見てもOK(でもできたら見ずにスピーチしたい)ということでした。
それじゃあ、こういうやり方でスピーチしたら?と1つ提案しました。
それは、原稿の内容をブロックごとに概要を項目出ししておけば、その項目ごと何を話すかは大体覚えているからリアクション込みでもいけるっしょ!?と。
以前書いた、私のプレゼン手法をゆるくしたようなやり方です。→参照:カタチを見て、話せたらそれで充分!
かなり大雑把な提案ですが、正確な原稿スピーチよりも途切れないハナシの流れがスピーチとして体現できたら、今回は万々歳なのかな、と。よくありがちな、途切れてしまったらアタマが真っ白になってしまって復旧できなくなってしまう!ことは少なくとも割けられるはずです。
手元にそのメモがあります。こんな感じに分けました。
はじめ→頑張ってきたこと
(逆上がりのこと)
できなかった
練習をはじめた
友達にアドバイスをもらう
1ヶ月後できるようになった
連続をがんばる
(ここまでが逆上がりのこと)

(持久走のこと)
長距離が苦手
練習に取り組んだこと
 ・大股で走る
 ・呼吸
どうなったのか
(ここまでが持久走のこと)
最後のしめ
image
↑こんな感じです。彼女の頭にはどんな練習をはじめて、どういったアドバイスをもらったかは入っているわけです。要は話す項目さえ思い出せば、リアクションで話せてしまえるのです。
そしたらすかさず、ポストイットにカンペ作ってました。健気ですね。
さあさあスピーチがうまく出来たかの結果報告はまた後日。ジョブズみたいに話せるかな。。。それはプレゼンか!?(^^ゞ

デカイ気付きを、2つももらってしまいました。その2

ふじのくに観光デザインゼミフォーラムのつづきです。
 その前に防災のお話を。3/9日曜の午前、静岡市で防災訓練がありました。ありました、というよりもあったようだ、というのが正しいところでして(^^ゞクルマで移動中に「地震が発生しました」と町内会のスピーカーから流れており、ちょっと緊張が走りました。が、すぐにこれが防災訓練だとわかったのも、静岡市からの防災メールが流れてきて一安心(安心してはいけないのですね)。スピーカーから聞こえてくる音声に、「訓練」という言葉が聞こえてこないので、さすがに焦ります。スピーカーもちょっと遠くだったので、訓練が聞こえなかったのかもしれません。
さすが防災意識の高い静岡!抜き打ちでやってもパニックにならず、冷静に対処できるくらいがイザという時に本領を発揮できますよね。

外山さん、向笠さんのトークセッションから気付いたこと
 でわ昨日のつづきです。コピーライティング、ブランディングを生業とされている、株式会社55634(ゴーゴームサシ!じゃないですよ。由来はココロザシだそうです)の外山さん、デザイナーでもあり、フットボールクラブ「アスレジーナ」のプロデューサーでもある向笠さんのトークセッションを聞きました。
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 その中で飯倉さんからの質問(うろ覚えでスミマセンが)「今日聞いているみなさんがこういうこと(様々なプロジェクトやアクション)をやるにはどうしたらいいのでしょうか?」
という問いに対して、向笠さんからの返しが突き刺さりました。
「コトを成している人は既に自分でやっている。そして呼び寄せている」
( ゚д゚)ハッ!としました。自分はギャラリーに甘んじていた、”いつかはできたら、なれたらいいな”程度の認識だという感覚が走りました。
要は想いや構想や計画は誰でもできるものです。それを実行に移しているのかどうかがむしろ重要でしょ!?もっともっと実行力、行動力をつけないと追いつけないぞこりゃ!そう気付かされた日でした。
How Toではなく、Do、ナイキのキャッチフレーズ「Just do it(ぐつぐつ言わないでやれ!)」ですね。しまったなこりゃ、計画してる場合じゃないぞ!
参照サイト:55634co.,ltd.
アスレジーナ 

デカイ気付きを、2つももらってしまいました。

ふじのくに観光デザインゼミフォーラムに参加してきました。
 以前、NPOサプライズを主催されている飯倉清太さんに地域活性化に興味あるならフォーラムがあるのでよかったら。と、メールをいただいていました。
こういう時は私、どんなのだろう?と特に下調べしません。マッチする部分があるからオススメしてくれているのであって、要は損得考えないのですね。中村文昭さんの”返事は0.2秒”できるかできないかじゃなくて、やるかやらないかじゃ!に匹敵します。とゆーことで会場である静岡デザイン専門学校に足を運びました。

大道芸ワールドカップin静岡の甲賀さんのお話
 大道芸ワールドカップって静岡ではメジャーイベントになっていますが、初回は1992年なんですね。てことは今年で23年。いやあすごいです。
甲賀さんは、「BeCreative」、「変化」、「ブランディング(手法)」、「Design」この4つについてお話いただきました。
その前段階でのお話から、大きな気付きをもらってしまいました!(導入からかい!とツッコまれそうですが(^^ゞ
それは、”私は変わらなければならない。日本は90年代を境に「循環変化」から「構造変化」へ変わり、「何かが日本の中で変わってきた」というメッセージ。
要はバブル崩壊で不況に陥った90年代でしたが、”経済は循環している”から時を待てばそのうちまた好景気が回ってくる。という発想でした。しかしそれは待てど暮らせど来ませんでした。
私が社会人デビューしたのはバブルがはじけ、下り坂にこれから入りますよー!となっていた1995年。バブル好景気を知らない世代初期メンバーです。
甲賀さんが話してくれた、「循環変化」と「構造変化」という言葉。私は今日まで気付いていませんでしたが、東京から静岡に戻ろうと思っていた頃、地域活性をやりたい、少子化に危機感がある。なんて話を上司やら他の人に話していても、何でか話が通じないな、フォーカスしているところ、ビジョンが違うな。仕舞いにゃ変わり者扱い(それでいいのですが)だし、なんでだろーなんでだろー、なんで理解してもらえないんだろう!?とずっと思っていました。逆に後押しや応援してくれていたのは朝活や勉強会仲間でした。
で、甲賀さんの言葉。あー、きっとこれなんだー!とスッと、というよりもズドンと腹に落ちました。
私は「循環変化」目線の人と話していたんです。これじゃあきっと言語から違うくらいのインパクトがある。
構造変化なんてわかってら!とも言われそうですが、他に理由があるかもしれませんが、要は循環変化なんです。
付け加えると、歴史の長い業界では循環変化にどっぷりだったかもしれませんから、同じようなことがあるのかもしれません。決して批判しているのではなく、これが環境なので気付けないのはある意味仕方がないことなのかもしれません。幸いにして私はバブル期を知らず、何度か会社も転職してきたのでその違和感を感じ取ったのかもしれません。
少子高齢化と人口減少社会についてはまた別の機会に書きたいと思います。

つづきます。 

利き手ひだり手、みぎ手利き手

”ぎっちょ”とゆーかつてのマイノリティ
 突然ですがみなさん利き手はどっちの手でしょうか?多くの方が「右手」と答えると思います。
私、箸は左手でえんぴつは右手なのです。すなわち勉強しながらご飯食べられます(行儀悪いですが)
ついで言うとボール、バット、テニスラケットは右手、フリスビーは左手、バトミントンラケットは両方OKのもはやぐっちゃぐっちゃです。
今でこそ利き手の矯正は減ったかと思いますが、私はちょっとだけ矯正されたクチです。
私の親は、矯正する気はありませんでした。自由にさせる方針のもと、育ててくれていましたので。
えんぴつの持ち手を直されたのは、”書き順がみんなと違くなるから”という理由でした。なのでお絵かきをする時に左手で持ったクレヨンなりを右手に持ち替えさせてたんですね。そしてご飯の時はそのまま(飯食う時は自由)だった、と。
こうして勉強しながらご飯を食べて24時間戦える(古!)スーパービジネスマンが出来たわけです。
昔は”ぎっちょ”なんてよく言ってましたね。※ちなみにぎっちょの語源です。→ヤフー知恵袋より
ばあちゃん家行く度に「アンタはぎっちょだったんかね」とゆー初見のリアクションを毎回繰り返してました。
ぎっちょがマイノリティだった頃と比べると、ごくごくフツーにぎっちょがいて、ぎっちょ人口が増えたのも事実です。

経験からすると、矯正はNG
 ぎっちょの認知が広まったとはいえ、矯正されるケースがあると思います。結論から書くと、矯正イクナイです。
単純に幼少期のストレスになってしまい、吃りになったりするそうです。調べてソース出てこなかったのですが、たしかイギリスの大統領が晩年その治療に大変苦労されたと記憶しています。
続けると、右脳左脳のインプットがぶつかってしまい、典型的なのが聞いている話が理解できないことが起きます(コレ、私がそうです)。耳から入った情報が脳をぐるっと1周しようとするそうで、脳で処理しようとする言葉が途切れたり、意味不明な言葉になってしまい「は?」と反射的に答えたり何度も聞いてしまったりということがあります(相手には大変失礼な態度だと思われそうですよね)。
また、(言葉は発せられているけど)聞こえない、理解できない他の要因で、会話している相手の声よりも周囲の声や音がノイズになって優先的に入ってきてしまうため、結果的に聞こえない・理解できないこともあります。
そういえば小学生時代、よく地獄耳なんて言われてました。だってピンポイントで遠くの同級生の会話が急に入って来るのですから(^^ゞ
と、これを書こうと思ったのも、うちの次女が完全ぎっちょなんですね。よく、幼児期はどっちの利き手もなくだんだん落ち着いてくる(長女は左利き→右利きでした)そうですが、次女の場合は何ら迷うことなくずっと左利きです。
なのでエジソン箸も、ハサミも左利き用。ナイフも持たせてみましたがぱっと左手で持ちます。そもそも右手で持つ概念がないんです。
もし、利き手の矯正を考えてる方がいらっしゃったら、被験者の意見としてお伝えください。自由に、のびのびなら構うことないのが1番ストレスフリーなのです(^^)
書き順(書き方向)が多少違っても、本人にはそれがフツーですから、不憫に思わないでください。理解に寛容になってください。
私の知り合いで、大人になってから”右脳を鍛えるぞ!”と左利きに変えた人もいます。とゆーことは大人になってから、本人の自由意思で充分間に合うのです。
参照サイト:Wiki:左利き左利きの是非 

ありがとう、ごめんなさい。

何かをしてもらった時、どっちの言葉がパッと出ますか?
 「ありがとう」と「ごめんなさい」。この2つの言葉って同じシチュエーションで使える言葉です。
例えば机から落ちた消しゴムを隣の人に拾ってもらった→とっさに出てくるのは?「ありがとう」or「ごめんなさい」
電車で席を譲った→相手から聞こえてきたのは?「ありがとう」or「ごめんなさい」
「謝辞」という言葉がありますが、辞書で引くと(Goo辞書さんより引用)
1 感謝の意を表す言葉。「来賓への―」
2 非をわびる言葉。「被害者に―を述べる」
と、「ありがとう」と「ごめんなさい」の相反する意味が込められています。

昔、中華料理屋でバイトしていた時、出前の配達をしていました。
よく出前を頼んでくれるお客さんがいらっしゃって、姿からおそらくタクシーの運転手さんでした。
「こんにちはー!出前お待たせしましたー!」「○○円です、いつもありがとうございますー!」なんて若かれし頃の私は、元気だけは取り柄なりに応対するのですが、そのお客さんはいっつも
「すみません、すみません」と「すみません」の連呼。
(-_-;)う、そんなに言われたら食べて喜んでもらいたいのに何だか申し訳ない気持ちになってきてしまいます。
今思えば、その方の接客も同じような対応なのだろうと想像がつきます。
謙遜する、恐縮するくらいなら、感謝しちゃった方が相手も気持ち良いものです。
”謙遜も度が過ぎると嫌味になる”とはまさにこのことですね。
なので私、「ごめんなさい」という言葉を極力使いません。「ありがとう」の感謝で押し切っちゃいます。
ですが当然謝らなければならない時もあります。例えば注意された時。そんな時は「すみません(指摘していただいて)ありがとうございます。」と謝り→お礼とかぶせちゃいます(^^ゞありがとうの理由もちゃんとカッコ内のようにあるのですよ。
何かしてもらって(施しがあって)、そこに感謝があって建設的になれるのか、すみませんから何も生まれないのか。(ちょっとは何かあるかもしれませんが感謝ほどではないはずです)前向き思考なら、どちらを選ぶか自ずとわかりますよね(^^)