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僕に友だちはいない

はみ出し者の僕に
 瀧本哲史著「君に友だちはいらない」ようやく読了しました。なんせ遅読な上に、最近では読書中に考え事しだしたりするので頭に入ってこない(^^ゞ読んでることがノイズになってしまうのか考え事が集中できるという不可思議。
図書館で借りたのですが、延長してリミットきて、再貸出してもらって、最後の方は集中するために歩きながら読んだり庭で立ち読みしたり。そうまでしないと読めないなら、そもそも読まなくていいじゃないか!?なんて突っ込まれそうですね。
それでも完読したかったのです。何故なら私の考えに合点がいくことばかり書いてあるのですから。とても励まされました。

コモディティ化という言葉、知ってますか?
 この本には、ビジネス用語のようなキーワードがいくつも出てきます。なのでよく理解していない用語はスマホ片手に用語の意味をちょっと調べるといいでしょう。
そのうちの1つ、コモディティ化。日用品という意味ですが、商品やサービスの陳腐化を表します。最初は価値があったとしても、競合が同じ商品をさらに安く作り、価値が下がってしまうことです。
商品やサービスだけでなく、個人さえもコモディティ化が進んでいる、と著者は述べています。そしてそういった人材がブラック企業に搾取されていくのだと。
では立ち向かうには労働組合を作って必死に抵抗する!?遅いかもしれないけど必死にビジネス勉強して天才的な商才を発揮して独立する!?すべての人がうまくいけばいいですが、そんな甘い話はありません。
著者は弱者ことチームの力を利用せよ!とまとめています。
よく天才的な人物によって圧倒的な成果を残した。という話がありますが、それは幻想であり演出としても1人にフォーカスしたほうが伝えやすいからだそうです。なるほどそうですよね。
中学生の時、「法隆寺を建てたのは誰か?」という質問に「宮大工」と答えて怒られたのを思い出しました。
答えを”聖徳太子”にしたいのなら、問い方は「法隆寺の建築を企画したのは誰か?」でしょうね。
「聖徳太子と宮大工たち」なんてカルロス・トシキとオメガドライブみたいな答え方しても○はもらえてなかっただろうな。ひねくれてたんじゃなくて素直に答えたのですよ。
横道それましたが、ここで七人の侍が出てきます。本の装丁にも出てくるあの七人の侍です。

これからの時代に生きる人へのバイブル
 エスタブリッシュメント、今までの資本主義社会。私は封建的な組織や保守的な考え方にどうやら馴染めないようです。マイナス思考、慎重、できない理由。こういうことばっかり掘り下げる空気がそもそもダメみたいです。
それでもチームとしてこういった思考を持つ「エルフ」の存在は必要だと説きます。たしかにそうですよね。イケイケドンドンだけじゃあ成功も読み誤れば大損害に着地します。
またウィークタイズ(弱いつながり)を活用してチームを作れともあります。
プロジェクトごと、それが終わったら解散。そんなチームです。
これからの時代を生きたい、すなわち世代交代によって訪れるパラダイムシフト、社会の変革に取り残されないために、我々の親の時代の常識を捨て、我々で作るのだと。
そういえば社会に出て、はじめに気付いたこと。それは家庭内の常識が社会では非常識、通用しないということでした。親・家庭の保護下、育てられてきた環境のまさに殻を破って出た世界は広くて複雑でした。
そしてまた、同じようなことが訪れるということでしょうか。今までの社会の常識がパラダイムシフトによって非常識になっていく時代になるのです。今までの社会が悪者になるというわけではありません。通用しなくなるだけです。
1節を引用させていただきます。
人間は合理的に動いていない組織に長期間属していると、物事をロジカルに考える能力が確実に低下していく。そういう組織に順応すればするほど頭が悪くなり、組織に順応できなければ精神を病むことになる。
順応しきってしまった人は自覚症状を持つことができないまま、言い訳能力と、自己欺瞞力だけが向上していくのである。
きっと、必死にしがみつく人が大勢出るはずです。でもそれは、倒れる木にしがみついている姿にほかなりません。
我々は新しい時代の木に移る必要があるのです。
「君に友だちはいらない」。なぜこのタイトルなのかは読んだ人はもうわかってらっしゃるかと思います。
そしてこのタイトルは私にもピッタリでした。なぜならそもそも「僕に友だちはいない」からです。
いない、いなくてもよかった理由がまさに記してあった、そんな1冊でした。

アサガオが朝咲く理由

本を1冊、紹介します。
 今日は紹介したい本を棚から引っ張ってきました。それは、五木寛之さんの「生きるヒント」です。
この本に出会ったのは、19年前、高校卒業した頃(もうそんな月日が!)でした。
ジュディ・アンド・マリーのYUKIがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンでYUKIが紹介し、読んでみたくなりました。
YUKIが紹介した一節を同じように引用してみます。

第3章「悲む」のP66より。
それは、あるアサガオ研究家の話です。
学生時代からどうして朝、決まった時間にみごとな大輪の花を咲かせることができるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でもつづけ、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。
アサガオは夜明けに咲きます。
ふつう私たちはそれを、朝の光を受けてアサガオが花を開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不充分であるということがわかったそうです。
24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。
そこに紹介されている短い文章は、実験の結果を淡々と述べたものですが、ぼくにはとても詩的な感動をおぼえさせるものでした。
アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。
もっと正確な話をご紹介すべきかもしれませんが、ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を開かせるために不可欠なのだという、その言葉がとても鮮烈にのこってしまったのでした。

ちょうどその頃、生き死に迷い、どうしたいのかもよく見えず五里霧中な状態でした。今の前向きだけ思考なんて宣言している自分と当時とは対極的に真反対だったと思います。表面上は取り繕っていても、ココロは暗い、もしくは無い。そんな頃でした。
当時、今はきっとアサガオが花開く前の時と同じ。そう重ねたことを振り返ることができました。
この本に出会い、我々よりも激動の時期を生き抜いてきた五木さんの姿に感動しました。だって同じ19歳の頃、五木さんは境内の下で雨風をしのいで生活していたのですから。当時の私なんてちっぽけで恵まれていると反省しました。
「生きるヒント」は現在でも新版になっています。(私は集めた単行本がオススメですが)短い章ごとに区切られているので、ちょっとした時間にも読めるので、気になった方はぜひ!
生きるヒント
新版生きるヒント
画像1

 

”弱い紐帯”でつながろう

ソーシャルメディアを武器にするための10カ条を読んで
 徳本昌大さん、高橋暁子さん共著「ソーシャルメディアを武器にするための10カ条」を読ませていただきました。
SNSって利用していない人にとっては、得体のしれない共同体のような、団体のような、集まりのようなものに思えるかもしれません。私も実際、ミクシィは友達いなくて招待されずノータッチでした(^^ゞので、「何だかそんなものが流行っているのだな」程度だったのを記憶しています。
フェイスブックやツイッターはツールにすぎません。主軸はあくまでも人と人とのコミュニケーションです。そしてそれらソーシャルメディアを継続して利用し、また活用することで人生に様々なチャンスをもたらしてくれることを徳本さん高橋さんは説いています。

このブログも徳本さんきっかけ
 実は私のブログを続けているのも、徳本さんがある朝活で講師としてお話されたのを聞いたのがきっかけです。
その時は毎日継続するなんて無理。通勤中に書いている徳本さんすごいな〜と思っていました。
今でも覚えているのは、ファシリテーターの方が「徳本さんの話を聞きに来られたということは、みなさんブログ始めたい!からですよね!?ではこれからブログ始める人!」の質問に挙手はまばら。私もムリムリムリ!と思って小さくなっていました。
継続して発信することでSNSでつながった人が見てくれる。SNSでは情報が流れていってしまう”フロー型”に対してブログは”蓄積型”。下火になって利用度が低くなったブログを逆に利用する。
実際、継続していてリアルに会っている人にブログのことについて声をかけられます。フェイスブックでもリアクションがあります。※読んでいただいていらっしゃる方、本当にありがとうございます!
私自身も、聞き手側になることが多く、自分の考えや思いを話すことって少ないので理に適っているようです。

弱い紐帯の強さ
 本の話に戻ります。10カ条というタイトルの如く、10条の構成になっていますが、この中で刺さった言葉を紹介します。
第4条で、社会学者のマーク・グラヴェッターが提唱した考え方「弱い紐帯の強さ」が紹介されています。
家族や親友、同僚などは「強い絆」で結ばれています。生活環境や価値観が似ており既に情報共有されていることが多いそうです。
一方であまり親しくない関係の人とは「緩く弱い絆」で結ばれていて、生活環境や価値観も異なります。つまりそれ故、まだ得ていない本当に人生を左右するような重要な情報は、あまり親しくない関係からもたらされることが多い。これが「弱い紐帯の強さ」なのだそうです。
チャンスはふとした思いがけないところから。セレンディピティとつながっていそうですね。
SNSをやるなら、名刺代わりにするのもいいのですが、ちょっと志向を変えてみると素晴らしいきっかけづくりのツールになると思います。

本の紹介:ソーシャルメディアを武器にするための10カ条
徳本さんのブログ:ソーシャルおじさん徳本昌大の習慣化ブログ
高橋さんのブログ:高橋暁子のソーシャルメディア教室 

僕に友だちはいない

はみ出し者の僕に
 瀧本哲史著「君に友だちはいらない」ようやく読了しました。なんせ遅読な上に、最近では読書中に考え事しだしたりするので頭に入ってこない(^^ゞ読んでることがノイズになってしまうのか考え事が集中できるという不可思議。
図書館で借りたのですが、延長してリミットきて、再貸出してもらって、最後の方は集中するために歩きながら読んだり庭で立ち読みしたり。そうまでしないと読めないなら、そもそも読まなくていいじゃないか!?なんて突っ込まれそうですね。
それでも完読したかったのです。何故なら私の考えに合点がいくことばかり書いてあるのですから。とても励まされました。

コモディティ化という言葉、知ってますか?
 この本には、ビジネス用語のようなキーワードがいくつも出てきます。なのでよく理解していない用語はスマホ片手に用語の意味をちょっと調べるといいでしょう。
そのうちの1つ、コモディティ化。日用品という意味ですが、商品やサービスの陳腐化を表します。最初は価値があったとしても、競合が同じ商品をさらに安く作り、価値が下がってしまうことです。
商品やサービスだけでなく、個人さえもコモディティ化が進んでいる、と著者は述べています。そしてそういった人材がブラック企業に搾取されていくのだと。
では立ち向かうには労働組合を作って必死に抵抗する!?遅いかもしれないけど必死にビジネス勉強して天才的な商才を発揮して独立する!?すべての人がうまくいけばいいですが、そんな甘い話はありません。
著者は弱者ことチームの力を利用せよ!とまとめています。
よく天才的な人物によって圧倒的な成果を残した。という話がありますが、それは幻想であり演出としても1人にフォーカスしたほうが伝えやすいからだそうです。なるほどそうですよね。
中学生の時、「法隆寺を建てたのは誰か?」という質問に「宮大工」と答えて怒られたのを思い出しました。
答えを”聖徳太子”にしたいのなら、問い方は「法隆寺の建築を企画したのは誰か?」でしょうね。
「聖徳太子と宮大工たち」なんてカルロス・トシキとオメガドライブみたいな答え方しても○はもらえてなかっただろうな。ひねくれてたんじゃなくて素直に答えたのですよ。
横道それましたが、ここで七人の侍が出てきます。本の装丁にも出てくるあの七人の侍です。

これからの時代に生きる人へのバイブル
 エスタブリッシュメント、今までの資本主義社会。私は封建的な組織や保守的な考え方にどうやら馴染めないようです。マイナス思考、慎重、できない理由。こういうことばっかり掘り下げる空気がそもそもダメみたいです。
それでもチームとしてこういった思考を持つ「エルフ」の存在は必要だと説きます。たしかにそうですよね。イケイケドンドンだけじゃあ成功も読み誤れば大損害に着地します。
またウィークタイズ(弱いつながり)を活用してチームを作れともあります。
プロジェクトごと、それが終わったら解散。そんなチームです。
これからの時代を生きたい、すなわち世代交代によって訪れるパラダイムシフト、社会の変革に取り残されないために、我々の親の時代の常識を捨て、我々で作るのだと。
そういえば社会に出て、はじめに気付いたこと。それは家庭内の常識が社会では非常識、通用しないということでした。親・家庭の保護下、育てられてきた環境のまさに殻を破って出た世界は広くて複雑でした。
そしてまた、同じようなことが訪れるということでしょうか。今までの社会の常識がパラダイムシフトによって非常識になっていく時代になるのです。今までの社会が悪者になるというわけではありません。通用しなくなるだけです。
1節を引用させていただきます。
人間は合理的に動いていない組織に長期間属していると、物事をロジカルに考える能力が確実に低下していく。そういう組織に順応すればするほど頭が悪くなり、組織に順応できなければ精神を病むことになる。
順応しきってしまった人は自覚症状を持つことができないまま、言い訳能力と、自己欺瞞力だけが向上していくのである。
きっと、必死にしがみつく人が大勢出るはずです。でもそれは、倒れる木にしがみついている姿にほかなりません。
我々は新しい時代の木に移る必要があるのです。
「君に友だちはいらない」。なぜこのタイトルなのかは読んだ人はもうわかってらっしゃるかと思います。
そしてこのタイトルは私にもピッタリでした。なぜならそもそも「僕に友だちはいない」からです。
いない、いなくてもよかった理由がまさに記してあった、そんな1冊でした。

アサガオが朝咲く理由

本を1冊、紹介します。
 今日は紹介したい本を棚から引っ張ってきました。それは、五木寛之さんの「生きるヒント」です。
この本に出会ったのは、19年前、高校卒業した頃(もうそんな月日が!)でした。
ジュディ・アンド・マリーのYUKIがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンでYUKIが紹介し、読んでみたくなりました。
YUKIが紹介した一節を同じように引用してみます。

第3章「悲む」のP66より。
それは、あるアサガオ研究家の話です。
学生時代からどうして朝、決まった時間にみごとな大輪の花を咲かせることができるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でもつづけ、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。
アサガオは夜明けに咲きます。
ふつう私たちはそれを、朝の光を受けてアサガオが花を開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不充分であるということがわかったそうです。
24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。
そこに紹介されている短い文章は、実験の結果を淡々と述べたものですが、ぼくにはとても詩的な感動をおぼえさせるものでした。
アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。
もっと正確な話をご紹介すべきかもしれませんが、ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を開かせるために不可欠なのだという、その言葉がとても鮮烈にのこってしまったのでした。

ちょうどその頃、生き死に迷い、どうしたいのかもよく見えず五里霧中な状態でした。今の前向きだけ思考なんて宣言している自分と当時とは対極的に真反対だったと思います。表面上は取り繕っていても、ココロは暗い、もしくは無い。そんな頃でした。
当時、今はきっとアサガオが花開く前の時と同じ。そう重ねたことを振り返ることができました。
この本に出会い、我々よりも激動の時期を生き抜いてきた五木さんの姿に感動しました。だって同じ19歳の頃、五木さんは境内の下で雨風をしのいで生活していたのですから。当時の私なんてちっぽけで恵まれていると反省しました。
「生きるヒント」は現在でも新版になっています。(私は集めた単行本がオススメですが)短い章ごとに区切られているので、ちょっとした時間にも読めるので、気になった方はぜひ!
生きるヒント
新版生きるヒント
画像1

 

”弱い紐帯”でつながろう

ソーシャルメディアを武器にするための10カ条を読んで
 徳本昌大さん、高橋暁子さん共著「ソーシャルメディアを武器にするための10カ条」を読ませていただきました。
SNSって利用していない人にとっては、得体のしれない共同体のような、団体のような、集まりのようなものに思えるかもしれません。私も実際、ミクシィは友達いなくて招待されずノータッチでした(^^ゞので、「何だかそんなものが流行っているのだな」程度だったのを記憶しています。
フェイスブックやツイッターはツールにすぎません。主軸はあくまでも人と人とのコミュニケーションです。そしてそれらソーシャルメディアを継続して利用し、また活用することで人生に様々なチャンスをもたらしてくれることを徳本さん高橋さんは説いています。

このブログも徳本さんきっかけ
 実は私のブログを続けているのも、徳本さんがある朝活で講師としてお話されたのを聞いたのがきっかけです。
その時は毎日継続するなんて無理。通勤中に書いている徳本さんすごいな〜と思っていました。
今でも覚えているのは、ファシリテーターの方が「徳本さんの話を聞きに来られたということは、みなさんブログ始めたい!からですよね!?ではこれからブログ始める人!」の質問に挙手はまばら。私もムリムリムリ!と思って小さくなっていました。
継続して発信することでSNSでつながった人が見てくれる。SNSでは情報が流れていってしまう”フロー型”に対してブログは”蓄積型”。下火になって利用度が低くなったブログを逆に利用する。
実際、継続していてリアルに会っている人にブログのことについて声をかけられます。フェイスブックでもリアクションがあります。※読んでいただいていらっしゃる方、本当にありがとうございます!
私自身も、聞き手側になることが多く、自分の考えや思いを話すことって少ないので理に適っているようです。

弱い紐帯の強さ
 本の話に戻ります。10カ条というタイトルの如く、10条の構成になっていますが、この中で刺さった言葉を紹介します。
第4条で、社会学者のマーク・グラヴェッターが提唱した考え方「弱い紐帯の強さ」が紹介されています。
家族や親友、同僚などは「強い絆」で結ばれています。生活環境や価値観が似ており既に情報共有されていることが多いそうです。
一方であまり親しくない関係の人とは「緩く弱い絆」で結ばれていて、生活環境や価値観も異なります。つまりそれ故、まだ得ていない本当に人生を左右するような重要な情報は、あまり親しくない関係からもたらされることが多い。これが「弱い紐帯の強さ」なのだそうです。
チャンスはふとした思いがけないところから。セレンディピティとつながっていそうですね。
SNSをやるなら、名刺代わりにするのもいいのですが、ちょっと志向を変えてみると素晴らしいきっかけづくりのツールになると思います。

本の紹介:ソーシャルメディアを武器にするための10カ条
徳本さんのブログ:ソーシャルおじさん徳本昌大の習慣化ブログ
高橋さんのブログ:高橋暁子のソーシャルメディア教室 

僕に友だちはいない

はみ出し者の僕に
 瀧本哲史著「君に友だちはいらない」ようやく読了しました。なんせ遅読な上に、最近では読書中に考え事しだしたりするので頭に入ってこない(^^ゞ読んでることがノイズになってしまうのか考え事が集中できるという不可思議。
図書館で借りたのですが、延長してリミットきて、再貸出してもらって、最後の方は集中するために歩きながら読んだり庭で立ち読みしたり。そうまでしないと読めないなら、そもそも読まなくていいじゃないか!?なんて突っ込まれそうですね。
それでも完読したかったのです。何故なら私の考えに合点がいくことばかり書いてあるのですから。とても励まされました。

コモディティ化という言葉、知ってますか?
 この本には、ビジネス用語のようなキーワードがいくつも出てきます。なのでよく理解していない用語はスマホ片手に用語の意味をちょっと調べるといいでしょう。
そのうちの1つ、コモディティ化。日用品という意味ですが、商品やサービスの陳腐化を表します。最初は価値があったとしても、競合が同じ商品をさらに安く作り、価値が下がってしまうことです。
商品やサービスだけでなく、個人さえもコモディティ化が進んでいる、と著者は述べています。そしてそういった人材がブラック企業に搾取されていくのだと。
では立ち向かうには労働組合を作って必死に抵抗する!?遅いかもしれないけど必死にビジネス勉強して天才的な商才を発揮して独立する!?すべての人がうまくいけばいいですが、そんな甘い話はありません。
著者は弱者ことチームの力を利用せよ!とまとめています。
よく天才的な人物によって圧倒的な成果を残した。という話がありますが、それは幻想であり演出としても1人にフォーカスしたほうが伝えやすいからだそうです。なるほどそうですよね。
中学生の時、「法隆寺を建てたのは誰か?」という質問に「宮大工」と答えて怒られたのを思い出しました。
答えを”聖徳太子”にしたいのなら、問い方は「法隆寺の建築を企画したのは誰か?」でしょうね。
「聖徳太子と宮大工たち」なんてカルロス・トシキとオメガドライブみたいな答え方しても○はもらえてなかっただろうな。ひねくれてたんじゃなくて素直に答えたのですよ。
横道それましたが、ここで七人の侍が出てきます。本の装丁にも出てくるあの七人の侍です。

これからの時代に生きる人へのバイブル
 エスタブリッシュメント、今までの資本主義社会。私は封建的な組織や保守的な考え方にどうやら馴染めないようです。マイナス思考、慎重、できない理由。こういうことばっかり掘り下げる空気がそもそもダメみたいです。
それでもチームとしてこういった思考を持つ「エルフ」の存在は必要だと説きます。たしかにそうですよね。イケイケドンドンだけじゃあ成功も読み誤れば大損害に着地します。
またウィークタイズ(弱いつながり)を活用してチームを作れともあります。
プロジェクトごと、それが終わったら解散。そんなチームです。
これからの時代を生きたい、すなわち世代交代によって訪れるパラダイムシフト、社会の変革に取り残されないために、我々の親の時代の常識を捨て、我々で作るのだと。
そういえば社会に出て、はじめに気付いたこと。それは家庭内の常識が社会では非常識、通用しないということでした。親・家庭の保護下、育てられてきた環境のまさに殻を破って出た世界は広くて複雑でした。
そしてまた、同じようなことが訪れるということでしょうか。今までの社会の常識がパラダイムシフトによって非常識になっていく時代になるのです。今までの社会が悪者になるというわけではありません。通用しなくなるだけです。
1節を引用させていただきます。
人間は合理的に動いていない組織に長期間属していると、物事をロジカルに考える能力が確実に低下していく。そういう組織に順応すればするほど頭が悪くなり、組織に順応できなければ精神を病むことになる。
順応しきってしまった人は自覚症状を持つことができないまま、言い訳能力と、自己欺瞞力だけが向上していくのである。
きっと、必死にしがみつく人が大勢出るはずです。でもそれは、倒れる木にしがみついている姿にほかなりません。
我々は新しい時代の木に移る必要があるのです。
「君に友だちはいらない」。なぜこのタイトルなのかは読んだ人はもうわかってらっしゃるかと思います。
そしてこのタイトルは私にもピッタリでした。なぜならそもそも「僕に友だちはいない」からです。
いない、いなくてもよかった理由がまさに記してあった、そんな1冊でした。

アサガオが朝咲く理由

本を1冊、紹介します。
 今日は紹介したい本を棚から引っ張ってきました。それは、五木寛之さんの「生きるヒント」です。
この本に出会ったのは、19年前、高校卒業した頃(もうそんな月日が!)でした。
ジュディ・アンド・マリーのYUKIがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンでYUKIが紹介し、読んでみたくなりました。
YUKIが紹介した一節を同じように引用してみます。

第3章「悲む」のP66より。
それは、あるアサガオ研究家の話です。
学生時代からどうして朝、決まった時間にみごとな大輪の花を咲かせることができるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でもつづけ、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。
アサガオは夜明けに咲きます。
ふつう私たちはそれを、朝の光を受けてアサガオが花を開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不充分であるということがわかったそうです。
24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。
そこに紹介されている短い文章は、実験の結果を淡々と述べたものですが、ぼくにはとても詩的な感動をおぼえさせるものでした。
アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。
もっと正確な話をご紹介すべきかもしれませんが、ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を開かせるために不可欠なのだという、その言葉がとても鮮烈にのこってしまったのでした。

ちょうどその頃、生き死に迷い、どうしたいのかもよく見えず五里霧中な状態でした。今の前向きだけ思考なんて宣言している自分と当時とは対極的に真反対だったと思います。表面上は取り繕っていても、ココロは暗い、もしくは無い。そんな頃でした。
当時、今はきっとアサガオが花開く前の時と同じ。そう重ねたことを振り返ることができました。
この本に出会い、我々よりも激動の時期を生き抜いてきた五木さんの姿に感動しました。だって同じ19歳の頃、五木さんは境内の下で雨風をしのいで生活していたのですから。当時の私なんてちっぽけで恵まれていると反省しました。
「生きるヒント」は現在でも新版になっています。(私は集めた単行本がオススメですが)短い章ごとに区切られているので、ちょっとした時間にも読めるので、気になった方はぜひ!
生きるヒント
新版生きるヒント
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アサガオが朝咲く理由

本を1冊、紹介します。
 今日は紹介したい本を棚から引っ張ってきました。それは、五木寛之さんの「生きるヒント」です。
この本に出会ったのは、19年前、高校卒業した頃(もうそんな月日が!)でした。
ジュディ・アンド・マリーのYUKIがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンでYUKIが紹介し、読んでみたくなりました。
YUKIが紹介した一節を同じように引用してみます。

第3章「悲む」のP66より。
それは、あるアサガオ研究家の話です。
学生時代からどうして朝、決まった時間にみごとな大輪の花を咲かせることができるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でもつづけ、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。
アサガオは夜明けに咲きます。
ふつう私たちはそれを、朝の光を受けてアサガオが花を開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不充分であるということがわかったそうです。
24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。
そこに紹介されている短い文章は、実験の結果を淡々と述べたものですが、ぼくにはとても詩的な感動をおぼえさせるものでした。
アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。
もっと正確な話をご紹介すべきかもしれませんが、ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を開かせるために不可欠なのだという、その言葉がとても鮮烈にのこってしまったのでした。

ちょうどその頃、生き死に迷い、どうしたいのかもよく見えず五里霧中な状態でした。今の前向きだけ思考なんて宣言している自分と当時とは対極的に真反対だったと思います。表面上は取り繕っていても、ココロは暗い、もしくは無い。そんな頃でした。
当時、今はきっとアサガオが花開く前の時と同じ。そう重ねたことを振り返ることができました。
この本に出会い、我々よりも激動の時期を生き抜いてきた五木さんの姿に感動しました。だって同じ19歳の頃、五木さんは境内の下で雨風をしのいで生活していたのですから。当時の私なんてちっぽけで恵まれていると反省しました。
「生きるヒント」は現在でも新版になっています。(私は集めた単行本がオススメですが)短い章ごとに区切られているので、ちょっとした時間にも読めるので、気になった方はぜひ!
生きるヒント
新版生きるヒント
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アサガオが朝咲く理由

本を1冊、紹介します。
 今日は紹介したい本を棚から引っ張ってきました。それは、五木寛之さんの「生きるヒント」です。
この本に出会ったのは、19年前、高校卒業した頃(もうそんな月日が!)でした。
ジュディ・アンド・マリーのYUKIがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンでYUKIが紹介し、読んでみたくなりました。
YUKIが紹介した一節を同じように引用してみます。

第3章「悲む」のP66より。
それは、あるアサガオ研究家の話です。
学生時代からどうして朝、決まった時間にみごとな大輪の花を咲かせることができるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でもつづけ、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。
アサガオは夜明けに咲きます。
ふつう私たちはそれを、朝の光を受けてアサガオが花を開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不充分であるということがわかったそうです。
24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。
そこに紹介されている短い文章は、実験の結果を淡々と述べたものですが、ぼくにはとても詩的な感動をおぼえさせるものでした。
アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。
もっと正確な話をご紹介すべきかもしれませんが、ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を開かせるために不可欠なのだという、その言葉がとても鮮烈にのこってしまったのでした。

ちょうどその頃、生き死に迷い、どうしたいのかもよく見えず五里霧中な状態でした。今の前向きだけ思考なんて宣言している自分と当時とは対極的に真反対だったと思います。表面上は取り繕っていても、ココロは暗い、もしくは無い。そんな頃でした。
当時、今はきっとアサガオが花開く前の時と同じ。そう重ねたことを振り返ることができました。
この本に出会い、我々よりも激動の時期を生き抜いてきた五木さんの姿に感動しました。だって同じ19歳の頃、五木さんは境内の下で雨風をしのいで生活していたのですから。当時の私なんてちっぽけで恵まれていると反省しました。
「生きるヒント」は現在でも新版になっています。(私は集めた単行本がオススメですが)短い章ごとに区切られているので、ちょっとした時間にも読めるので、気になった方はぜひ!
生きるヒント
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