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眠ることの大切さ

よく寝てみたらわかりました。
 振り返ってみると、うーんやっぱり寝ることは大切だな、と思うことが多々あるこの頃。
むしろ眠らないと色々障害がでてきます(当然ですが)。
調べてたら自殺対策のサイトに辿り着き、うつになり自殺につながる。と警鐘してます。
参照サイト:清水徹男さんの話

また、世界的に見ても日本の睡眠時間は短く、さらにギョッとしたのが”不潔なベッドで寝ている。”という報告にもぶち当たりました(-_-;)
参照サイト:イロリオによるポスト 
そういえば私、どんなに泥酔しても必ずお風呂に入ってから寝ます。ベッドに外のニオイを付けたくないし翌日以降も引きずりたくないのです。泥酔して記憶なくしていても翌朝さっぱりしているので、あ、風呂入ったんだなと後追いで確認することもしばしば。
どんなに酔ってても風呂場に行くので、時には風呂場で吐いて嫁さんにしこたま怒られたこともあります。しかしそれでも風呂には入るのです。
という私から見ると、不潔なベッドとは恐らく風呂に入ってない汚いカラダのままベッドに入るか、干すことをしてないせんべい布団かあるいはそのダブルかだろうと予測もつきます。
そこまでサイトに載ってないのだし、予測しなくても!と突っ込みどころ満載ですが、思い当たる節、ありませんか?
清潔を心がけて、よく眠る。これ重要ですね。以前のヒゲの隊長のエピソードにもつながりそうです。不潔は油断の第一歩!
ビジネスに競争力やスピードが求められるのはある程度理解できます。
でも、加速のかかりすぎた競争力は人を幸せにするのか、ちょっと疑問にも感じます。人を幸せにするはずのビジネスが、自殺に追い込んでは、これ以上言わなくてもわかりますが、いつから日本はこんなジレンマに陥ってしまったのかと時々思うのです。

この17年で第2次世界対戦がもう1度起きている
年間3万人を超える自殺者という数は、
第2次世界対戦の日本の犠牲者が約50.6万人(Wikiによる数字)毎年の自殺者3万人を超えたのが1998年ですからざっとみても1998年以降、現在までに少なくとも第2次世界対戦で犠牲になった方の数を超えています。
つまりこの17年間でもう1度戦争が起きて犠牲者が出ているくらいの数の方が自殺しているわけです。
ゴメンナサイ、細かい数字の合計足してませんが下記サイトからグラフを見ていただくと一目瞭然です。
参照サイト:
T-PECさんのサイト 
こう捉えていただくと、自殺者で人口減少を起こすことがいかに社会的に影響のある問題かがわかると思います。自殺原因も年齢層も色々端折って、半ば独断と偏見の視点で書いてます。すみません。でも、捉えたい空気はご理解いただけると思って書きました。
重たく書いちゃいましたが、まとめると”うーんイヤだな、こんな社会。幸せに生きている人がすごしている社会というものが、自殺者の犠牲に成り代わっているとしたら、みんなで幸せに過ごしたくなる。” 
まだ見えてきませんが、きっと社会がよくなる方法は必ずあると信じています。 

地域活性、したいんです。その3

日本に繁栄を!
 昨日からのつづきです。(最初の記事はコチラ
それではそろそろ、ようやく本題です。
人口減を食い止めるにはどうしたらいいのでしょう。
答えは、カンタン!(に考えましょう)人口が減る以上に増やせばいいのです。
誰でもわかりますよね。バカですみません。
ではどうやって増やすのか。
子供が生まれればいい。
これも単純すぎた答えでした。
しかしでも、それが出来ていない、出来ない社会になっているのが今の日本です。
理由は沢山ありそうですが、イケダハヤト氏のブログにも、ご本人が経験している同じような状況がポストされていました。
都心は家賃が高い→出産を機に郊外に引っ越し→職場が遠くなる→少子化 イケハヤ書店 
都心部で子供を育てるジレンマです。

もう一つ、ただ単に子供がじゃんじゃん生まれたらそれでいいのかという問いにもぶつかります。極論言えば「不幸子だくさん」。
当然NOです。私は、社会が繁栄することにこそ意義があるのだと思っています。
私の定義する、繁栄とは、
1.経済が豊かで
2.人口が増え続け
3.地域が活性化している 
この3要素です。
もっと単純に言えば、人と人が恋をし、結ばれ夫婦となり子供が生まれ家族となり、幸せに暮らし、その経験をまたその子供が継承する。
こんなことです。
昔はもっとこれができていたはずです。

しかし今の社会は、繁栄の基盤であるはずの社会が、それを阻害するかのような基盤になりつつあります。
繁栄の基盤を取り戻すため、特に地方が若者を呼び戻す土壌と文化を築くためには、地域単位での活性化がなくてはならないと思います。(ようやく本題に触れてきました)
私が地域活性をしたいのは、日本をもう一度繁栄させたいからです。繁栄の先に、人口減を食い止め、人口増にすらシフトする要素があると信じています。
人が集まった都市圏が悪いとは思っていません。地方に魅力がないのです。今の日本のデファクトスタンダードは、大都市圏の経済活動に参画し、生活の基盤を築くことであると、大多数の人が思っているようでなりません。
地方を活性化し、地方の魅力を輝かせることができたら、若者は振り向き帰ってくるでしょう。
実際、若い世代家族で賑わう地方自治体はあるのです。

平均年収2500万の村も。「脱・過疎」を果たした地方の星 
私一人が動いたところで、人口減は変わりません。できるだけ多くの人を巻き込んで、共に考え、活動する他に道はないと思うのです。日本の未来は、多くの方が関心を寄せ、想い考えることから変わると信じています。
あなたの気持ちや行動・態度が、社会をよくするためになっているのか、ちょっとだけ考える時間を作ってみてください。
社会をよくすることをちょっとだけ考えてみてください。  

地域活性、したいんです。その2

人口減の先にあるもの
 本題に入る前に、昨日の人口減の話のつづきから。
人口が減るとどういう影響があるか、ちょっと考えてみましょう。
経済のマーケット(市場)として捉えると、

マーケットが縮小→商品・サービスを提供する側も縮小→企業としての存在そのものの絶対数が縮小。
全体がシュリンク(縮小化)していきますので、提供する側も必要な数に減少します。

自治体:管理規模に見合わず閉鎖する地域も出てくる。
こんなことが予想されます。似たケースが先日のヤフートピックスにも載っていました。
この先にあることではなく、もう現実的に起きている事実となってしまっています。

2014/1/4 神戸新聞NEXT
兵庫県佐用町の無人集落 帰郷への思い消えず

インフラ:水道・道路など維持管理が規模に見合わなくなる
上記の自治体に関連して、維持しないエリアも出てくる、ということは住居エリアも統廃合し縮小化するはずです。

マーケットに合わせるだけがマーケティングの考え!?
予測できることを3つほど挙げてみました。
テキストよりも、イメージしてみてください。
人のいない、集落。
かつて文化遺産があったはずの場所。
誰も足を踏み入れることがなくなった街。(踏み入れる人自体もわずか)
教科書に載る、過去の出来事となった繁栄。

我々の何代か先の子孫がこのような光景を目の当たりにするのは正直イヤですし、
結果として人口増に結びついていない今の対策を、負の遺産にしたくない。
そう思います。

また、上記で市場がシュリンク(縮小)すると書きました。前職でマーケティングのことを勉強していた時、
”市場に合わせた価値の提供”ということを習いました。
それは間違ってはいないのですが、このままでは市場すらなくなってしまいます。
一つ疑問に感じていたのは、”市場を増やす”という考えはあっていいはず。とずっと思っていました。
ここでの増やすべき市場は人口です。
少子化対策に積極的なフランスは”人は国力”と掲げています。
ではその対策を考えてみましょう。
あ、スミマセン!このつづきはまた明日に 

地域活性、したいんです。

ずっと前から、気付いてました。
ニュースであまり大きく取り上げられない話題が、今年になってから報道されるようになってきました。
それは、日本の人口減のことです。
産経MSNニュース「人口の自然減 最多24万人に 」
私自身もっと前から掴んでいた話題も。

千年後に子どもゼロ? 東北大が人口時計を公表

まさか人が減っているというニュースとはいえ、こんなに人がいるのにゼロは大袈裟でしょう!?なんて
思うかもしれません。
でも、統計的にこの結論は確実に歩みを進めています。結論を先に書くと、
「日本民族は滅亡します」(ただしこのままだと)
私が東京にいた昨年夏、HIRO志塾という勉強会でこのことについてプレゼンし、参加された方々とディスカッションしました。

ちょっとおかしいなと気づき始めたのは7年前からです。
当時、仕事で年間7~8割、全国出張してました。
東京を出発して地方へ向かえば向かうほど、シャッター街や人もまばらな地域、閑散とした風景が目の前に広がっていきました。
そして東京へ戻ると、そんな風景も景気もどこ吹く風。人やモノ、情報で溢れかえっています。

日本は人口減ばかりだけでなく、首都圏への人口流出が起きていて、結果地方の人口減は半端ないのです。
※これらの情報はHIRO志塾の時にまとめてますので、解説を交えながら紐解きたいと思います。
国際的にみて、先進諸国が少子高齢社会に突入し、滅亡するのは日本だけではないかもしれません。(自国の対策が先決なのでまだ調べてません)とはいえ他国も滅亡するならいいか!というわけにはいきませんよね!?

日本という国がタイタニック号なら、少子高齢社会と人口減という氷山が船首の先に迫っているのに、知らずに船内で優雅に過ごしているか、機関室でせっせと働いているか、あるいは客室に引きこもっているか。これが今の日本の姿かもしれません。
氷山がこの先にあるというモールス信号は無線室に届いているのです。
舵を切らないと、衝突し、沈没します。
これが日本の現状です。

はたして皆さんはどう捉えますか?
 「その頃自分は死んでいるから関係ないや」と今を満喫して人生全うしたなんて思って死にますか?
事業の成功や、夢の実現も、共有すべき人々、つまり社会がなくなってしまっては単なる一寸の自己満足に終わってしまいます。結果の数字をゼロで終わるのは、何もしなかったのと同じことであるということは、経営者視点を持っていらっしゃる方ならよくご理解できるはずです。
この状況を、子孫に継承することになります。私は2人の娘がいますが、何も手を講じないまま、継承できません、死ねません。出来れば人口が増えていく瞬間だけでも見て、死にたいです。
ミッションステートメントのひとつとして、私のこれからの人生は、このことについて自分ができることを果たし、人生を全うしたいと思います。

何をすれば、改善されるのか、対策はあるのです。それについてはまた明日につづきます。 

サプライズが好きだ!

世はエイプリルフールだったのでした。
 もはや毎年恒例となったエイプリルフールネタで賑わうWEBサイト。今年も色々あったようですね。
感性のアンテナが弱っていたのか、ちょっと体調良くなくてそれどころではなかった私は、カーナビ代わりにしているグーグルマップのアプリに「ゲームをする」という項目が表示されていることから、あ、エイプリルフールだ。と気付きました。
今年のグーグルはマップ上にポケモンのモンスターが点在していてそれを捕まえるというもの。マップを引いて見るとモンスターの位置が消えてしまうので、そんなに探してる時間はない!からすぐ止めてしまいました。IT業界どこもこの日だけにエネルギーかけてやるからか、今年のグーグルさんは控えめでしたね。
それよりもフェイスブック上でエイプリルフールネタを書き込む知り合いの方の方が趣向凝っていて楽しめました。
改名する人、架空の会社立ち上げる人、離婚と婚姻を同時にする人。リアルな知り合いの人の企画の方がむしろ信じてしまって、最初真面目に受け取ってしまったり(^_^;)

サプライズなネタ、大好物なのだ!
 エイプリルフールにサプライズネタを披露するのは大いに結構なことですが、サプライズ企画なら私も負けてません。
東京で仕事をしていた頃、グループメンバーの誕生日は必ずサプライズでお祝いしてました。
どこかに隠してあって、ヒントがデスクに置かれていたり、急ぎで○○発送して!とお願いするとそこにプレゼント入っていたり。ネタが段々エスカレートする(せざるを得ない)ものですから、最後の方は他部署の人巻き込んだりしてました。
そして受ける側もサプライズだって気づかないものなんです。私もそうだったのですが、これがどうしてか”今まさに誕生日を祝われようとしている”となりにくいものなのです。
2年前に仕掛けたサプライズバースデーは動画まで撮っていて編集してYOUTUBEに載せていました。
これ、辞めちゃった別のコに見せるために編集までしたものです。なので今までほぼお蔵に入ってました。
せっかくなのでその素晴らしき実績を載せておきます。著作権は私だし、サプライズ受けた彼女も見てないだろうし、肖像権で言われたらどうしよう!?責任取る意味でも会社辞めてるから大丈夫か!怒られたら封印します。

仕掛けとしてはこんな感じです。
某支店の人に協力いただき、お客さんがカタログを配ってくれるということで、至急送ってほしい!

サプライズを受ける部下が業務として動く→カタログ倉庫に取りに来て待ち構えてた私と娘と愛犬がお祝い!(有給休暇まで取って待ち構えてたのです)

しかし待てど暮らせど部下が倉庫に来ない!なぜなら倉庫に取りに行かなくても事務所に部数あったとゆートラブル発生!

というのが隣の部署のこれまた協力いただいた方から連絡あり、某支店の人にさらなる数のアップを依頼!

そしてまんまと倉庫にやって来た部下は、、、
というストーリーを踏まえて見てみてください!(^^)
http://youtu.be/ACFEYekJ3f8
サプライズな話は、もうちょっと明日につづきます。

子供の成長に思うこと

子供を授かることは喜びと大罪を同時に受け取ることだ
 次女がこの春から晴れて幼稚園生となりました。長女とは7つ離れているので、生まれてきてからは次女とそのファンの家族。というような立ち位置でしたので、姉妹でケンカもなく(というよりもお姉ちゃんが一方的にやられてますが)、楽しく過ごしています。

7つ離れているというのは、「となりのトトロ」のサツキちゃんとメイちゃんの年齢設定と同じです。そして今年がちょうど同じ設定歳なのですね。キャラクター的にも2人は似ていると思います。しっかり者のお姉ちゃんにおてんば娘の次女なので、映画とそのままです(^_^;)

私は10年前に親となってその当時から思っていましたが、子供の成長は嬉しい半面、寂しい一面もあるのです。
これは女の子を持つ男親の方なら理解してもらえるでしょうか。寂しいなんて口にできませんから、ここに書き残す程度にしておきますが、「大きくなったらパパと結婚する!」なんて言っていた子供がだんだん大きくなってきて少しづつ大人に近付いてしまうのは、正直言って寂しいです。

親として可愛くて仕方ない、手を離したくないのに成長とは皮肉なもので喜ばしい分、離れていくのを実感するのも事実です。そう感じる時、なんて大罪を背負ってしまったのだと思うこともありました。
だからもう1度!というわけでもありませんが、2人目でリスタートしたかったのもココロのどこかにあったのかもしれません。

次女が家族にやって来た時は、”早く大きくなって家族で遊べるようになるといいな”と思うようにしてましたが、いざ幼稚園生になると1抹の寂しさがちょっとだけ過ぎりました。
ここで謝っておきます、私は子離れできないのかもしれません。

「自分さえよければいい」人間から滅びてゆく
それでも思うのです。この世をこのまま子供たちに引き渡してはならない、と。
社会には課題が山積みです。そして今の大人たちは”解決できないことは放置しておこう”という空気が流れています。
「諦めずに最後までやればできる」と教えている大人が早々に諦めている。それと損得で先ず考えて振り分けている。

例えば私の関心事である少子化問題。人口はこのままでは減る、首都圏にばかり人口が集まり地方が疲弊していく。じゃあ移民を受け入れよう。
いやいやまだできることたくさんあるでしょ!?これから多くの産業が衰退していくのなら危機感のない企業に働きかけることだってやってないでしょ!?
移民で溢れかえる日本を、子供たちに継承することを許せますか?だったら子供が増えて幸せな環境で育つ社会を今からでも作り上げてから死んでも遅くはないはずです。

少なくともこの先、今と同じ社会は形成できません。未来の利己主義者は自分の首を締め、足元をすくう、というより足元を無くすでしょう。逆に協力が未来に光を照らすのだと思います。日本社会に関わる全てが協力し合えば、解決の糸口を掴めると信じています。 
よりよい社会になるきっかけを残して死ぬのか、これが未来の課題だと無責任に問題を先送っておくのかは今の大人にかかっていると思います。
子供の寝顔、遊ぶ姿を見ていると、まだ死ぬ気で頑張れるな、と思ったりするのです。

眠ることの大切さ

よく寝てみたらわかりました。
 振り返ってみると、うーんやっぱり寝ることは大切だな、と思うことが多々あるこの頃。
むしろ眠らないと色々障害がでてきます(当然ですが)。
調べてたら自殺対策のサイトに辿り着き、うつになり自殺につながる。と警鐘してます。
参照サイト:清水徹男さんの話

また、世界的に見ても日本の睡眠時間は短く、さらにギョッとしたのが”不潔なベッドで寝ている。”という報告にもぶち当たりました(-_-;)
参照サイト:イロリオによるポスト 
そういえば私、どんなに泥酔しても必ずお風呂に入ってから寝ます。ベッドに外のニオイを付けたくないし翌日以降も引きずりたくないのです。泥酔して記憶なくしていても翌朝さっぱりしているので、あ、風呂入ったんだなと後追いで確認することもしばしば。
どんなに酔ってても風呂場に行くので、時には風呂場で吐いて嫁さんにしこたま怒られたこともあります。しかしそれでも風呂には入るのです。
という私から見ると、不潔なベッドとは恐らく風呂に入ってない汚いカラダのままベッドに入るか、干すことをしてないせんべい布団かあるいはそのダブルかだろうと予測もつきます。
そこまでサイトに載ってないのだし、予測しなくても!と突っ込みどころ満載ですが、思い当たる節、ありませんか?
清潔を心がけて、よく眠る。これ重要ですね。以前のヒゲの隊長のエピソードにもつながりそうです。不潔は油断の第一歩!
ビジネスに競争力やスピードが求められるのはある程度理解できます。
でも、加速のかかりすぎた競争力は人を幸せにするのか、ちょっと疑問にも感じます。人を幸せにするはずのビジネスが、自殺に追い込んでは、これ以上言わなくてもわかりますが、いつから日本はこんなジレンマに陥ってしまったのかと時々思うのです。

この17年で第2次世界対戦がもう1度起きている
年間3万人を超える自殺者という数は、
第2次世界対戦の日本の犠牲者が約50.6万人(Wikiによる数字)毎年の自殺者3万人を超えたのが1998年ですからざっとみても1998年以降、現在までに少なくとも第2次世界対戦で犠牲になった方の数を超えています。
つまりこの17年間でもう1度戦争が起きて犠牲者が出ているくらいの数の方が自殺しているわけです。
ゴメンナサイ、細かい数字の合計足してませんが下記サイトからグラフを見ていただくと一目瞭然です。
参照サイト:
T-PECさんのサイト 
こう捉えていただくと、自殺者で人口減少を起こすことがいかに社会的に影響のある問題かがわかると思います。自殺原因も年齢層も色々端折って、半ば独断と偏見の視点で書いてます。すみません。でも、捉えたい空気はご理解いただけると思って書きました。
重たく書いちゃいましたが、まとめると”うーんイヤだな、こんな社会。幸せに生きている人がすごしている社会というものが、自殺者の犠牲に成り代わっているとしたら、みんなで幸せに過ごしたくなる。” 
まだ見えてきませんが、きっと社会がよくなる方法は必ずあると信じています。 

第2回情熱プレゼンバトルを開催します!

情熱をプレゼンしてみませんか!?
 先日の「俺の情熱プレゼン」プレ大会から反省・改善点をふまえ、来月イベントの第1回大会を開催することとなりました!→そして今回は第2回を開催します!
その名も「情熱プレゼンバトル」!「俺の」が消えて、「バトル」がついて!?そうなんです、イベントタイトルも更新しました。
俺の、というと俺でない女性が参加しづらい、せっかく下げたハードルを上げてしまう。ということでなくしました。
俺のイタリアンに訴えられたら!?なんて心配もあり(^_^;)なんちて!
そして当初案にあった「バトル」を復活。イベントで優勝しても賞金とか出ませんが、投票が入るのでこれはバトルでしょう!ということで。
そして色々なタイトル案があったのですが、最終的に「情熱」は外せないだろう!ということで「情熱プレゼンバトル」に決まりました。

ホンキで全国に広げたい
 事務局の3人は、それぞれ本業がありますので、頻繁にミーティングする時間が取れないのが正直なところです。
なので細かいやりとりはメッセンジャーで行い、議事録はグーグルのスプレッドシートを活用。
そしてその中に書き込んであるのですが、イベントを全国区にまで広げたい。という案が最初からあります。
これ、ホンキで実現させようとしてます。
事務局長の私的には、2つ目標がありまして、
1つはフリーフォーマット化(イベントの運営方法など)してしまって、各地で実施してもらいたいのです。アレンジもOK!
朝活が広がったように、ハードルの低い、誰でも気軽に参加できるイベントにしたいのです。想いを発表する場があるなんてステキではないですか!?

もう1つは、これを応用して、就職説明会に持ち込みたいのです。
要は企業と就活生を同じ立場に置いて、各々プレゼンします。
企業はありがちな退屈する会社説明なんてプレゼンしたら即アウト。ブーイングものはその時点で強制終了。オーディエンスとして聞いているのは就活生であり企業です。
就活生も同じ様にプレゼンします。何をプレゼンするかは書かなくてもわかりますね。
企業と就活生の一本釣り対決です。
これくらいのことができない企業も就活生も、この先生き残れないはずです。
今のリクルートってナゼか企業が上から目線で、人事担当者も本望でない圧迫面接があったり、就職説明会なのに「君たちは間違って生きている!」なんて脅してみたり。
バブル期に青田買いされていた先輩方が言う言葉ではないですよね。
フェアでもないしフラットでもないし、ファン(楽しむ)なんてもってのほかです。
ということで打倒リクナビ!なのです。
他にも応用効くので、まだまだやりたいことだらけなのですが、まずはベースイベントを盤石のものにします!
日時は9/20(土)14時スタート!場所は静岡駅前あざれあ会議室です!イベントの詳細とエントリーにつきましてはこちらから!
こくちーずイベント案内:http://kokucheese.com/event/index/202320/
facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/1526048300948443/
 

社会はみんなのためのもの

子供と清掃作業をして思うこと。
 昨日のフェイスブックにもさわりだけ書いたので重複する部分もありますが、こんなことがありました。
※コピペしちゃいます。
夕方の散歩の時、次女と愛犬と近所の公園まで行きました。
公園の広場にパッと目を配ると、ペットボトルやらお菓子の容器が散在してたんですね(>人<;)
ブランコしながら次女に
「ゴミが散らかってるね、どう思う?」
「だめだねー」
「じゃあどうしたらいいと思う?」
「片付けた方がいいと思う」
とゆーことで2人でペットボトル4本とお菓子(ソフトクリーム)の容器とスプーンをいくつか回収しました。
愛犬のエチケット袋の予備があったのでゴミはまとめ、ペットボトルは手で持ち帰りました。
思ったことは今夜ブログにまとめます。
それと今後はもう一回り大きいビニール袋を持って散歩に出かけたいと思います(^ ^)
 

ま、日常ありがちな光景。といったらそれまでなのですが、NPOサプライズ飯倉さんが以前おっしゃっていた、”ゴミ拾いを始めたきっかけと同じような光景”が自分の眼前に広がっていたのです。→NPOサプライズの清掃活動はコチラ
見過ごすか、行動するか。考える必要なんてありませんでした。0.1秒、いや0.000001秒で「片付けよう」と思いました。
公共の場所だけでなく社会はみんなのものです。みんなのもの、というと所有物のようですので言い換えると”みんなが利用するものです。プライベートの場所・モノ以外は、すべての人の利用機会を内在しているのですね。
それと捨てていない自分があえて片付けることには、「割れ窓理論」のことも頭によぎりました。(ニューヨークの地下鉄で落書きを一掃したら犯罪が激減した)
子供も利用する公園をキレイに安全に使いたいのは、私だけではないですからね。
それに前述の子供に聞いたら片付けるという意見も尊重し行動に移したわけです。
ゴミをまとめ、最初近くのコンビニのゴミ箱に捨てようと思いました(拾った容器がおそらくそこのコンビニのものだったので)。でも止めました。コンビニのゴミ箱に処分することはカンタンです。でもそうでない気がしたからです。自宅に持ち帰ってペットボトルは水道で洗い、潰しました。

他人の尻ぬぐいをやる必要はあるのか
 街や社会は”みんなのため”なんてあえて考えること、30を過ぎるまで考えたこともありませんでした。”みんなが使うから自分もちゃんとしよう”というとなんだかおこがましくて逆説がはびこっているなら自分もちゃんとしなくていい。なんて考えも起きてしまいそうです。
それよりも、”みんなはそうは思ってないかもしれないけど、自分からちゃんとしよう”と考えると、他人のエゴなんてどうでもよくなり、逆に賛同している人がいれば共感し合流できると思います。
”ゴミを拾うのはゴミを捨てた人”ではなく、”ゴミを拾うのは自分の社会を安心して利用するため”くらいに思って行動すると、”誰かのため”と”自分のため”がセットになっていて、行動にも葛藤は現れないのだと思います。
何より、ブログのタイトルどおり、「社会をよくしたい。楽しくしたい。」そう思っていることが行動になっているだけなのかもしれません。
”人間は思ったことしか実現しない”なんて時々聞きますが、最近思うのです、もっと自分にはやらなくてはならないことが他にたくさんあるのではないか。今、生きていることが成すべきことを成していないのではないか。自問自答の日々です。 

子供の成長に思うこと

子供を授かることは喜びと大罪を同時に受け取ることだ
 次女がこの春から晴れて幼稚園生となりました。長女とは7つ離れているので、生まれてきてからは次女とそのファンの家族。というような立ち位置でしたので、姉妹でケンカもなく(というよりもお姉ちゃんが一方的にやられてますが)、楽しく過ごしています。

7つ離れているというのは、「となりのトトロ」のサツキちゃんとメイちゃんの年齢設定と同じです。そして今年がちょうど同じ設定歳なのですね。キャラクター的にも2人は似ていると思います。しっかり者のお姉ちゃんにおてんば娘の次女なので、映画とそのままです(^_^;)

私は10年前に親となってその当時から思っていましたが、子供の成長は嬉しい半面、寂しい1面もあるのです。
これは女の子を持つ男親の方なら理解してもらえるでしょうか。寂しいなんて口にできませんから、ここに書き残す程度にしておきますが、「大きくなったらパパと結婚する!」なんて言っていた子供がだんだん大きくなってきて少しづつ大人に近付いてしまうのは、正直言って寂しいです。

親として可愛くて仕方ない、手を離したくないのに成長とは皮肉なもので喜ばしい分、離れていくのを実感するのも事実です。そう感じる時、なんて大罪を背負ってしまったのだと思うこともありました。
だからもう1度!というわけでもありませんが、2人目でリスタートしたかったのもココロのどこかにあったのかもしれません。

次女が家族にやって来た時は、”早く大きくなって家族で遊べるようになるといいな”と思うようにしてましたが、いざ幼稚園生になると1抹の寂しさがちょっとだけ過ぎりました。
ここで謝っておきます、私は子離れできないのかもしれません。

「自分さえよければいい」人間から滅びてゆく
それでも思うのです。この世をこのまま子供たちに引き渡してはならない、と。
社会には課題が山積みです。そして今の大人たちは”解決できないことは放置しておこう”という空気が流れています。
「諦めずに最後までやればできる」と教えている大人が早々に諦めている。それと損得で先ず考えて振り分けている。

例えば私の関心事である少子化問題。人口はこのままでは減る、首都圏にばかり人口が集まり地方が疲弊していく。じゃあ移民を受け入れよう。
いやいやまだできることたくさんあるでしょ!?これから多くの産業が衰退していくのなら危機感のない企業に働きかけることだってやってないでしょ!?
移民で溢れかえる日本を、子供たちに継承することを許せますか?だったら子供が増えて幸せな環境で育つ社会を今からでも作り上げてから死んでも遅くはないはずです。

少なくともこの先、今と同じ社会は形成できません。未来の利己主義者は自分の首を締め、足元をすくう、というより足元を無くすでしょう。逆に協力が未来に光を照らすのだと思います。日本社会に関わる全てが協力し合えば、解決の糸口を掴めると信じています。 
よりよい社会になるきっかけを残して死ぬのか、これが未来の課題だと無責任に問題を先送っておくのかは今の大人にかかっていると思います。
子供の寝顔、遊ぶ姿を見ていると、まだ死ぬ気で頑張れるな、と思ったりするのです。