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地方にはあるけど、都会には”◯◯よさ”がない!?

あまりやらない手法でスミマセン
 引きのあるタイトルなどつけてみました。効果はどちらでもいいのですが、東京で9年暮らし、地元に戻って2年。ちょっと気づいたことを。
最近、夜とある伊豆ッパコ(どう書いたら正解なのか!?伊豆箱根鉄道ですね)に乗ったところ、会社帰りのオジサマが対面座席に足を伸ばし新聞読みながら座っているではないですか!?
マナーさておき、その時思ったのが”東京じゃこんな光景まずない!というかできない!”対面座席がないからというわけでもなく、都内の電車は「ぎゅうぎゅう」のイメージです。
つまり、”ほどよさ”という余裕が地方にはあり、都会にはないように思えました。
そのオジサマが足を伸ばして占拠していてもまだ座席は空いていたので、座れることはできました。
ほどよさという余裕って大事だ、と思えた光景。
もし、日本国民が出身地に戻ったら、人口配分ってどうなるのでしょうね。なんだか、ほどよく分布しそうな気がしてならないのです。

電車でリアルコントを見せていただきました。
 電車ネタでもう1つ。こっちはどうでもいい話ですが実際に起きた話です。
新幹線に乗っていて、(この時も帰りの路線でした)3人座席の真ん中、通路側が空いていたので通路側に座りました。窓側にはやっぱりオジサマが乗ってらして、ビールをプシュッ!と開けていました。
簡易テーブルのアノ窪みに缶ビールを置くと、オシボリの袋を開けこれからつまみながら一杯。そんな感じでした。
するとオシボリの袋が足元に落ち、拾おうと屈むじゃないですか。頭がちょうど簡易テーブルの真下まで位置していて、大丈夫かなぁと思った刹那、頭をテーブルにぶつけまだ呑んでいない缶ビールを床にこぼしてしまいました。
慌てて缶ビールをテーブルに戻し、遂行しきれていないオシボリの袋を取ろうと再トライ。で、また頭をテーブルの下に潜らせて袋を取ったらそのまま起き上がって缶ビール床に落として、、、今度は缶ビールが逆さまです。これはマズイ!また繰り返す!このオジサマの歴史は繰り返す!と私が缶ビールを拾い、真ん中の席のネットに入れました。これで大丈夫。
今度はぶちまけた床の処理です。拭き取るものがなくて慌てていたオジサマ。私のポケットティッシュを開け、床にカンパイしちゃったビールを吸い取りました。残ったティッシュをオジサマに渡し、一緒に処理してたところに、また屈むじゃないですか。テーブルに目をやるとなぜか今度は幕の内弁当がスタンバイモードで待機してるのです。いつの間に!?
ビールを吸わせたティッシュを回収し、屈んだ頭を戻せば3たびテーブルをアッパーカット!今度は幕の内弁当を新幹線に食べさせてしまいます。
もうティッシュもなく、オジサマはトイレのペーパーでおかずを回収。もう3回めの時は笑いこらえるのだけで必死でした。
騒動に一段落したら、オジサマの最後の行動は、私がネットに保持した缶ビールをおもむろに取り出し、残りを呑んでしまいました。その缶ビール、床に垂直倒立してたのに。よほどビール呑みたかったのでしょうね。
最後は満足したのか、もう力尽きたのかテーブルひっくり返した幕の内弁当を乗せたまま、眠っていました。コントですよ、志村けんのコントに共演している優香の気分ですよ(^^)
もう何がなんだか。。。最近の若くない人はっ!!!(^^ゞ
 

運営側って実は、、、

秘策はきっとあると思いますが、
 イベントを行う側と参加(受け身)側って、同じ場にいますがやっぱり立場が違うので運営側はアウトプット、参加側はインプットになるのだと最近気付きました。
運営側で身近で比較的気軽なのが呑み会の幹事です(と願います)。お気軽レベルなら数人で呑む幹事ですね。これが会社の部署とかになると調整は面倒(^_^;)
また参加側の立場でも、幹事への気遣いがあれば面倒くささも和らぎますが、誰かが仕事で遅れ、時にはそのまま不参加!なんてこともありますね。こういう時、コースの変更できない料金どうするのよ!?ってドキドキします。年功序列でその場の年長者さんから払っていただけたケースならまだしも、完全割り勘だと不参加分で混乱したりします。 
お客さんのつもりで来て、ない!
 幹事とはじめとする運営サイドは、同じ場にいても前述のとおり立場が違うのでお客さん側にはなかなかなれません。それでも運営側をやるのは、来てもらう人に楽しんでもらいたいという気持ちがあるから、なのだと思っています。
先日の情熱プレゼンバトルも30名ほど来ていただき、懇親会も20数名でしたのでスライドした参加率の高さに後から驚きました。そしてパッと俯瞰するとみなさん盛り上がっていて笑顔なのですね。
ワタシ的はもうそれだけで充分成功だったのだと思う瞬間でもありました。

ようこさんのこと その2

連絡方法!?よくわからない!
 昨日の続きです。
YOUTUBEには連絡先の記載が載っておりませんでした。といいますのも、この動画をアップしているのは別の方。
うーんこの気持ちは届けられないままの不完全燃焼で終わるのか!?それでもコメント欄を見ていたら、彼女らしきアカウントがありました。
ダメもとでメールを送りました。(今考えれば恐ろしい行動力です。ストーカーファンかよ!?)
数日して返信をいただき、何度かメールでやりとりしました。彼女らのバンドは千葉県で活動していました。
当時、東京に住んでいたのでライブがあれば行ける距離。今度ライブイベントがあればぜひ行きますね。と送った数か月後にイベントがあり、いよいよライブで生の声を聞けることに!
当日、私はファンに混ざってデジイチでムービー撮影してたのですが、音声が飛んでしまったり、回しっぱなしにしていたらカメラがオーバーヒートしてデータ残っていなかったりさんざんさめざめ(*_*;
最初私が観たムービーのアカウントの方がアップされていました。
それがコチラです。

感想は書くまでもなく素晴らしかったです。ハラを突き抜けるとはまさにこのこと!地元のファンも多く、オッサン1人混ざって応援させて頂きました。

ラストライブはカメラマンとして
 初めて観たライブが2011年。その1年後2012年5月にラストライブが行われました。
バンドメンバーも忙しくなり、区切りをつけるため解散ということで私的には非常に残念でしたが、将来の進路あっての解散です( ;∀;) いいなぁ20代って(^^)何か恩返ししたいと考え、カメラマンとして参加しました。
カメラマンといってもビデオカメラは三脚で固定、デジイチを2丁拳銃のようにダブルで構え、盛り上がっているところの間を割って入って撮影。ファンの子たちには何このオッサンは!?カメラマンか!くらいに思われていたはずです。
で、今度は私がYOUTUBEにアップさせていただいたムービーがコチラ。
 
 最後でもファンへの感謝も忘れず、出口で見送りされていました。

これもセレンディピティなのでしょうね
 彼女とは今でも交流がありますが、きっかけは全然関係ないところからです。
仕事のストレス→東京事変のムービーを探していた→東京事変のムービーを観るはずが偶発的表示されていたSOSBANDをクリック→感動、解毒→連絡とる→ライブ観る→カメラマン→今度は自分がアップする→今でも仲良し(今ココ)→???
この先がどうつながるかはわかりません。彼女は今でもボーカルとして時々歌ってます。ひょっとしたら、ここからまた誰かのセレンディピティを起こすことも充分あり得るはずです。
私個人としては彼女の夢が叶えばいいな、と思っています。(スミマセン夢自体ちゃんと聞いてなかった!)その行動ができるのは当然彼女自身ですが、私ができる無責任で適当な応援はこれくらい。私に起きた偶然が、またどこかで違ったさらにいいカタチで起きることをさりげなく願っています。
最後に最近の活動をば!
 

ようこさんのこと その1

死にかけていた私に偶然手を差し伸べられ
 たぶん本人は読んでないと思うのでコッソリ書いちゃいます(^_^;)彼女との出会いはYOUTUBEでした。
たしか2010年の暮れ。私は業界展示会の準備に追われ、上司にはダメ出しにつぐダメ出しをつっぱりのように押され、もう仕事から自分から嫌になり、仕事への失望、自分への嫌悪感でいっぱいでした。
ストレスマックスな時、私はよく大好きな東京事変の曲を聴きます。ついでに書くと東京事変はメンバーチェンジを何度か行い、その度1期2期という変遷で呼んでいるのです。私は1期時のメンバー、ロックンロールなコンセプトが大好きです。
「群青日和」や「遭難」、「透明人間」をイヤホンで大音量で聴きストレスを忘れるかのように押し流します。
アルバム収録VerよりもライブVerの臨場感が好きで、件のYOUTUBEで聴いていました。
運命の時、検索したワードにタイプミスがあったか今となってはよくわかりませんが東京事変ではなく、コピーバンドが検索結果のトップに出てたのです。
いつもなら検索し直すのですが、その時は何故か聴いてみたくなりクリックしました。
バンド名は「SOS BAND」後に”涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団”から冠しているバンド名と知ることとなりますが、当時はごめんなさい、涼宮ハルヒの憂鬱から無知でした。
話を元に戻します。私がクリックした動画が、コチラ↓です。
 
これを聴いたあと、カラダから毒素が逃げて抜けるような感覚になり、鳥肌が立ちました。
同時に救われた気持ちになったのですね。高校生でこんなにエネルギッシュに声を放てるものなのかと。
正直、ちょっと泣いてました。自分が情けなくなっていたのもあったと思います。
そして私の次の行動は、”このボーカルさんに感謝のメッセージを送りたい。コンタクトとりたい!”でした。
明日へつづきます。 

脳を開放せよ!

非常に楽しかったワークショップ
 先日、Shizuoka.20zの定例会、「アイデア創造ワークショップ」に参加してきました。
結論から先に書くと、このアイデア出しは企業研修(特に40代以上の人)に企画職に最適だ!と感じるところ多数。
常識に縛られていると、それ以上のものってやっぱり超えることが難しく、超えたところで消極的、ダメな理由を出し合って結局無意味に終わってしまう。特に膠着する会議になってしまう組織ではそれ以前にアイデア出しなんてそもそも成立する環境が整ってないのではないでしょうか。
しまださとるさんによる、ワークショップはそこをぶち破るきっかけ=ツールをいくつも提供してもらい、みなさんアイデアの泉が湧いていました。
また、どんどんアイデアが出てくるので、まずやっていて楽しい。脳が気持ちいい。終わった時の感覚としては、頭蓋骨から脳が開放された気分でした。
どんな内容をやったのかは、私に直接聞いていただくか、次回(まだ未定ではありますが)このつづきのワークショップを企画されるそうなので、気になる方は参加してみてください。きっと脳が開放されますよ(^^) 

クジラのような人生を

出会いにムダがない!
  最近、お仕事でプライベートでお会い人とお会いすると、共通の知り合いがいらしゃったり、何かの同じつながりがすでにあった。ということが多いのです。
偉そうな言い方で恐縮ですが、出会うべくして出会った。というべきでしょうか。 
そういう時によく、「世間は狭いですね」なんて言ったりしますが、私はそうではないと思ってます。世間は広いです。広すぎです。だって出会うことなく一生を終えるケースの方が多いのです。
その中で出会うべくして出会うのは引き寄せ合ってるからなのだと思います。
つまり”合いたい人と会いたい”という想いが引き寄せてる。そう思った方が何だか嬉しいですよね。

どういう人と出会いたいか
 とりあえず”合いたい人と会いたい”と仮定して、”出会った”としましょう。もしその時出会った人が”相性悪そうな”、”会いたくない”ような人だったら。それはきっと”会いたくない”という気持ちを強く持っていてしまっていて引き寄せてしまった。と考えても過言ではないのではないでしょうか。
極端かもしれませんが、私も気持ちがハッピー側に傾いてない時は往々にしてそういうことがあります。
そしたらもう、沈んでいる気持ち切り替えるしかないのですね。
同じ意識を持った人と会いたい。真逆の人と正面衝突してwin-loseの結果を招くよりwin-winを網の目のように張りたい。そう思います。
なので私、会いたい人といる時はそれでお腹いっぱいなので、居酒屋などで座を囲んでいたりすると黙ってることが多いです。嬉しいのと居心地がいいのと、会いたい人が数人も同じ場にいることを感謝してます。
なので黙りこくって目を閉じているのは眠いからとかではないのですね。嬉しいことに酔いしれてます。

次はどんな出会いを
 企画している、「情熱プレゼンバトル」ですが、こちらもまだお話ししていない方がいらっしゃいます。
出会うべくして出会う人揃えだと思っていますので、今から非常に楽しみです。
それとこの企画を、広くPRしたい!そう考えてます。意識が高い人が集まると、そこから全く予測していなかったアイデアが生まれたりするものです。前回のプレ大会ですでにそうでしたので、今回もイノベーションの場になると信じてます!
情熱プレゼンバトルって何?という方はコチラをご参照ください!
情熱プレゼンバトルとは?←企画内容についてパワポをWEBにアップしてます
アットエス案内ページ←静岡新聞さんのWEBサイトに掲載いただきました!エントリー受付中!
facebookページ←フェイスブックページ、開設しました! 

朝活・昼活・夜活に参加すると景色が変わります。

朝活のことで何度も何度も(^^ゞ
 何だか書き忘れていたようなことがあって、ふと思い出したので書かせてください!
以前、知り合いと朝活のことを話していて、「よく飄々と知らない人と会うことできるよな!?」と言われました。
そうか、そう思う人もいるのか!てゆーかそう思う人の方が大多数なのか!?
私の人格、バックグラウンドからおさらいしますと、
・友達片手でカウント可
・単独行動好き
・独りでバイクイベントなどに参加
・変わり者
とはいえ今の私を形成するのも、こういった背景と朝活などで知り合った人の影響が強いのは確かです。
もう少し深堀りするならば、会社は仕事が軸。朝活は社会が軸です。
仮に会社がなくなったり、離れたりすれば会社の中にいた人たちと会うことがグッと減るかなくなります。その時のメンバーで一堂に会する、なんてもっと難しいでしょう。
一方で朝活は集まる場があれば、(場=リアルな場所やSNS)いつでも会えます。

もし参加するなら…どれ?
 参加してみたい!思った方、ぜひ参加してみてください。1度参加してみて、合わない感じだったら参加しなくても問題ないです。義理で参加するようなものでもないです。
ハードルが低い分、出入り自由な気軽さがあります。
それと、もしヒントになるなら、人見知り、恥ずかしがり屋、赤面症、非リア充(というべき?)の方。それでも自分を変えてみたいと思っていて、交流会に参加してみたいと思ったのなら、朝・昼・夜、どの時間帯がいいか。ちょっとお教えします。
まずは朝活に出てみてください。なぜ朝か?それは悪い人が朝活動していることに遭遇する確率が低いからです。
※夜行性が悪い人ばかり、という意味ではないですよ(^^)
それと、定期的に開催されている会であれば、もし仮に邪な(←これでヨコシマなって読むのか!)気持ちの人がいたとしても、集まっている善の空気でロンダリング、つまり浄化というより弾かれます。
自然と来られなくなります。それでも来ているならむしろ浮き彫りなって損得考えればより参加してる意味がなくなるはずです。 

参加してみてわかった、セレンディピティの行動原則
  セレンディピティという言葉、ご存知でしょうか。wikiによると、「ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力」だそうです。
セレンディピティは特異能力ではありません。それを説明しているサイトを読んだ時、朝活に参加される方に共通することがあるのでは。と思うようになりました。
9つの行動原則があるそうですが、そのうちの3つを紹介します。
1.とにかく顔を出す
2.適切な場所に身を置く
3.合いそうな人同士を紹介する
この3つが朝活参加者に見られます。セレンディピティが起きたかどうかは参加している方に聞いてみたいのですが、少なくとも私は。。。これ以上はお分かりいただけますね。
※朝活については、私のブログ内で検索してみてください。宝さがしのように出てきます。
参照サイト: 成功を引き寄せる「セレンディピティ」を起こりやすくするための9の行動原則lifehacker

ココロ拾い、ココロ捨て

ゴミ拾いはPIRIKAで共有!
 愛犬と散歩する時、エチケット袋とトイレに流せるエチケットペーパー(ティッシュよりちょっと厚め)、1Lのペットボトルに水を入れて出かけます。
エチケット袋はエチケットペーパーと一体になっているものを使っていましたが、トイレに流す時、紙と袋がスムーズに離れないのでセパレート使いに切り替えました。一体タイプはコストかかっている割には。。。でしたが、セパレートなら手提げタイプのビニール袋(1番小さいサイズ)とエチケットペーパー1000枚300円とかなのではるかに安上がりです。
愛犬の散歩の話から入ってしまいましたが、ビニール袋をもう1つ余分に持ち、これにゴミ拾いしたブツを入れてます。
たまたまクライアント先でお話してた時、PIRIKAというアプリを紹介してもらいました。
ゴミ拾いしたら、カウントとカメラ撮影して情報共有するだけです。
私も使ってみたところ、情報共有するだけでなく、PIRIKAユーザーから「ありがとう」が返ってくるのです。
そうすると、”あ社会貢献してるんだな”という実感が湧いてきます。
私の近所はタバコのポイ捨てが多いようでして、吸わない私が吸ってる誰かが捨てたタバコのフィルターを拾ってます。
子供も一緒に拾ってくれます。今日は物干し竿の1部を拾いました(^^ゞバラバラになった洗濯バサミの破片を拾いました。
ビニール袋は散歩ごと倍の数消費するようになりましたが、それ以上に住んでいる街がキレイになります。
拾っているものは、ひょっとしたら。。。!
 ゴミを拾えば拾うほど、心もスッキリして充実する一方、捨てる人はその真逆を走っているような。。。だってゴミ捨てる人はほぼ確実に拾わないですよね!?
みんなも拾おうよ!とは無理にススメません。でも捨てるな!とは言います。捨てる人のために拾う人がいるのではないですから。誰もが捨てなくなったら、拾う人はいなくなる。拾ってた人はその時間を、もっと別の貢献に時間を費やすだけなのです。ほらやっぱり拾う人と捨てる人の何かが、背を向け合って離れていってる!
もうちょっと深堀りすると、拾っているものはゴミなのかな?これって捨てた人のココロでは?なんて思ってみたり!(^^ゞ
あなたなら、ココロを捨てる人と拾う人、どっちがいいですか?それだけのことのような話でした。
紹介されたアプリ:PIRIKA 

ネットにはない、宝島

日本の島の数、知ってますか?
 TED☓TOKYOに出られた鯨本あつ子さんのプレゼンを観てびっくりしました。日本の島々、その数いくつあるかご存知ですか?














(╹◡╹)!
その数6,852島だそうです!
300かな?多くても500はないでしょ!?なんて思いませんでしたか?わたしもいいとろかなり盛っても700くらいかなぁ~なんて思ってました。
そして人が暮らしている島が430になるそうです。
島に移住する友人からの気付きで、離島の情報発信をしようと新聞発行に乗り出されています。
詳しくは最後にリンクを載せておきますので、ぜひ拝聴ください。

宝島はネットの外側に!?
離島の素晴らしさをまとめ情報発信しようと動き出したのも、インターネットに離島の情報が少なかったから。と彼女は言います。
なるほど、きっと人口の少ない島であればなおさらなのかな。とも思いました。
でも逆に考えるとネットの世界の方が伝えてもらいたい情報が少なかったり、埋もれてしまっていれば離島のように”素晴らしさ”を伝達できていないのでは。と思いました。
かくいう私も、”ネットから拾えない情報はない”ことと、”PCでできないことはない”と信奉しているきらいがありました。
でも拾えない情報って実はあるのですよね。5感で言えば味覚や嗅覚。その場の空気感もその場所に行かなければ得られない体感情報です。
そういえばネットが発達してから「行動する」という動作が鈍くなった気がします。引きこもりもこの最たるものではないでしょうか。
だとすると、やっぱ行動することから出会うこと、その場に行くこと、体感すること。これらの方が情報量と質に優れ、人を成長させるのだと思いました。
うーん書いていて”もうわかってる人いっぱいいるだろう”けど、”こんなことに今更気づくの遅いよ”かもしれませんが、現代社会の病巣が見えてきたような。。。
ネットの情報って豊富そうで実は薄っぺらいのですね。宝島はネットでは見つけられない!ネットには載っていない!載らない情報がドアの先にある!ちょっとPCから離れてみようかな(^^)!
参照:日本の離島は宝島: 鯨本 あつこ at TEDxTokyo
ハフポスト:「離島は宝島」 主催者・鯨本あつこ氏が語る、「離島メディア」をつくったワケ

 

社会はみんなのため

子供と清掃作業をして思うこと。
 先日、フェイスブックにもさわりだけ書いたので重複する部分もありますが、こんなことがありました。
※コピペしちゃいます。
夕方の散歩の時、次女と愛犬と近所の公園まで行きました。
公園の広場にパッと目を配ると、ペットボトルやらお菓子の容器が散在してたんですね(>人<;)
ブランコしながら次女に
「ゴミが散らかってるね、どう思う?」
「だめだねー」
「じゃあどうしたらいいと思う?」
「片付けた方がいいと思う」
とゆーことで2人でペットボトル4本とお菓子(ソフトクリーム)の容器とスプーンをいくつか回収しました。
愛犬のエチケット袋の予備があったのでゴミはまとめ、ペットボトルは手で持ち帰りました。
思ったことは今夜ブログにまとめます。
それと今後はもう一回り大きいビニール袋を持って散歩に出かけたいと思います(^ ^)
 

ま、日常ありがちな光景。といったらそれまでなのですが、NPOサプライズ飯倉さんが以前おっしゃっていた、”ゴミ拾いを始めたきっかけと同じような光景”が自分の眼前に広がっていたのです。→NPOサプライズの清掃活動はコチラ
見過ごすか、行動するか。考える必要なんてありませんでした。0.1秒、いや0.000001秒で「片付けよう」と思いました。
公共の場所だけでなく社会はみんなのものです。みんなのもの、というと所有物のようですので言い換えると”みんなが利用するものです。プライベートの場所・モノ以外は、すべての人の利用機会を内在しているのですね。
それと捨てていない自分があえて片付けることには、「割れ窓理論」のことも頭によぎりました。(ニューヨークの地下鉄で落書きを一掃したら犯罪が激減した)
子供も利用する公園をキレイに安全に使いたいのは、私だけではないですからね。
それに前述の子供に聞いたら片付けるという意見も尊重し行動に移したわけです。
ゴミをまとめ、最初近くのコンビニのゴミ箱に捨てようと思いました(拾った容器がおそらくそこのコンビニのものだったので)。でも止めました。コンビニのゴミ箱に処分することはカンタンです。でもそうでない気がしたからです。自宅に持ち帰ってペットボトルは水道で洗い、潰しました。

他人の尻ぬぐいをやる必要はあるのか
 街や社会は”みんなのため”なんてあえて考えること、30を過ぎるまで考えたこともありませんでした。”みんなが使うから自分もちゃんとしよう”というとなんだかおこがましくて逆説がはびこっているなら自分もちゃんとしなくていい。なんて考えも起きてしまいそうです。
それよりも、”みんなはそうは思ってないかもしれないけど、自分からちゃんとしよう”と考えると、他人のエゴなんてどうでもよくなり、逆に賛同している人がいれば共感し合流できると思います。
”ゴミを拾うのはゴミを捨てた人”ではなく、”ゴミを拾うのは自分の社会を安心して利用するため”くらいに思って行動すると、”誰かのため”と”自分のため”がセットになっていて、行動にも葛藤は現れないのだと思います。
何より、ブログのタイトルどおり、「社会をよくしたい。楽しくしたい。」そう思っていることが行動になっているだけなのかもしれません。
”人間は思ったことしか実現しない”なんて時々聞きますが、最近思うのです、もっと自分にはやらなくてはならないことが他にたくさんあるのではないか。今、生きていることが成すべきことを成していないのではないか。自問自答の日々です。