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すごい組織の、まとめ方~三島YEGに見る組織論~

組織のまとめは、○○にあり!
 先日、たまたま別地域のYEGメンバーの方とお話する機会がありました。私、新参者ですので他のYEGの動きに興味あって色々聞いてみました。
会話の中からわかったこと↓
・委員会の出席率がそれほど活発でなく、常連メンバーで固まってしまっている。
・事業企画について新しいネタが出てこない
などなど。
情報交換しているうちに、私の所属している三島YEGとある違う点に気付きました。
それは、
・事務局の対応
です。三島YEGの場合、事務局の方は委員会が開かれると最後まで同席いただいています。終わりまでとことん付き合ってもらってます。新参者なので、それが常なのだと思ってました。
ところが先方のYEGでは、委員会が開かれると退席してしまう。時にはいない時もある。へーそうなんですかーと聞いてましたが、思い返すとあることに気付きました。
組織(この場合ではYEG組織)を引っ張っていく、方向を示す、旗振り、音頭取りするのはリーダーの役割。つまりリーダーシップにかかっています。
しかし、組織をまとめるのは事務局のようなまとめ役にかかっている。ということです。
YEG組織でいえば、各委員会があって委員長がおり、そのトップに会長がいます。
組織全体を引っ張るのがリーダーならば、その組織がバラバラにならないよう、見えないボンドとネットでまとめているのが事務局ということです。
三島YEGの事務局のみなさんは、メンバーからも評価が高く(自画自賛じゃないですよ)本当にきめ細かく動いてもらってます。
事務局って、まとめるための調整や方方の立場の意見を聞いたり日程調整何度もしたり、骨の折れるほど、大変なんです。(事務局にわがまま言ってる人いたら覚えておいてください、大変なんです(^^ゞ
私も以前、展示会プロジェクトの事務局を経験したことがあります。時には方向性が何度も変わったり暗礁に乗り上げそうになったり、何のために取りまとめているのかわからなくなることもありました。
そんな苦労を知っていると、三島YEG事務局の方々には頭の下がる思いと感謝でいっぱいです。ホント、ありがとうを何度も唱えちゃいます!
先日の全国大会の時にも、何やらこまめにどこかの秘密本部と連絡をとっていたのを私は見てましたし(^^)
裏方、縁の下の~という表現はしっくり来ません。立派な1つのセクションとして三島YEGメンバーと共にミッションを遂行しているのです!素晴らしいっ!
もし、他地域のYEGの方で気になったら担当者に話してみてください。三島がうまくいってるのは、どうも事務局の取りまとめにあるみたいだぞ!って(^^)

YEGってナニ?という方はコチラを読んでみると私の入会経緯つきでわかります。→社長!地域活性化、やらせてくださいっ!~私が三島YEGに入った理由 

クジラのような人生を

出会いにムダがない!
  最近、お仕事でプライベートでお会い人とお会いすると、共通の知り合いがいらしゃったり、何かの同じつながりがすでにあった。ということが多いのです。
偉そうな言い方ですが、出会うべくして出会った。というべきでしょうか。 
そういう時によく、「世間は狭いですね」なんて言ったりしますが、私はそうではないと思ってます。世間は広いです。広すぎです。だって出会うことなく一生を終えるケースの方が多いのです。
その中で出会うべくして出会うのは引き寄せ合ってるからなのだと思います。
つまり”合いたい人と会いたい”という想いが引き寄せてる。そう思った方が何だか嬉しいですよね。

どういう人と出会いたいか
 とりあえず”合いたい人と会いたい”と仮定して、”出会った”としましょう。もしその時出会った人が”相性悪そうな”、”会いたくない”ような人だったら。それはきっと”会いたくない”という気持ちを強く持っていてしまっていて引き寄せてしまった。と考えても過言ではないのではないでしょうか。
極端かもしれませんが、私も気持ちがハッピー側に傾いてない時は往々にしてそういうことがあります。
そしたらもう、沈んでいる気持ち切り替えるしかないのですね。
同じ意識を持った人と会いたい。真逆の人と正面衝突してwin-loseの結果を招くよりwin-winを網の目のように張りたい。そう思います。
なので私、会いたい人といる時はそれでお腹いっぱいなので、居酒屋などで座を囲んでいたりすると黙ってることが多いです。嬉しいのと居心地がいいのと、会いたい人が数人も同じ場にいることを感謝してます。
なので黙りこくって目を閉じているのは眠いからとかではないのですね。嬉しいことに酔いしれてます。

次はどんな出会いを
 来月企画している、「情熱プレゼンバトル」ですが、こちらもまだお話ししていない方がいらっしゃいます。
出会うべくして出会う人揃えだと思っていますので、今から非常に楽しみです。
それとこの企画を、広くPRしたい!そう考えてます。意識が高い人が集まると、そこから全く予測していなかったアイデアが生まれたりするものです。前回のプレ大会ですでにそうでしたので、今回もイノベーションの場になると信じてます!
情熱プレゼンバトルって何?という方はコチラをご参照ください!
情熱プレゼンバトルとは?←企画内容についてパワポをWEBにアップしてます
こくちーず案内ページ←エントリー受付中!
facebook案内ページ←いただいた質問への回答など、随時アップしてます 

ラジオが好きだ!その2

ANNを昼間に聴く方法をコッソリと
 昨日からのラジオネタです。ANN(オールナイトニッポン)は現在、22-0時のオールナイトニッポンゴールド、1時からのオールナイトニッポン、3時からのオールナイトニッポンZEROという構成です。
昔は1時からの1部、3時からの2部という構成でしたね。
このANN、某動画サイトにアップされていたりします。それをスマホでダイレクトに聴くと、パケット量もハンパなくて(動画見てるのとデータ量は同じ)すぐにパケット通信制限のかかる7GBを超えてしまうので注意です。
なので、知恵を絞って動画を音声ファイルに変換ダウンロードします。そしてこれをiPhoneにぶち込んで持ち歩くのです。
ちょっと面倒ですがまとめて落としてやったりするので毎度の手間はかけません。

ラジオもメディア存続の危機に晒されているのです。
 ラジオ、も。と書きましたが、テレビ番組同様メディアとしてのシェアをネットなどに奪われジリ貧です。中学生高校生の時、ANNのラジオ広告は「花とゆめ」とか流れていたのを思い出します。最初に読み上げるスポンサー名もいくつもあってパーソナリティが噛まないか、噛んだら番組終わっちゃうの!?なんてドキドキしながら聴いてました。それが今やANNのスポンサー読み上げは1、2社程度。すっかりさみしくなりました。
そんな思いを持っていながら、先日1つのブログに出くわしました。
元ラジオディレクターがBRUTUSのラジオ特集で感じた危機感のなさ
ラジオ業界の方全てが危機感ないとは思えませんが、1つ、また1つと無くなっていくことを想像するともっと攻めに打って出ることをしないといけないような気がします。兎角、既得権の上に胡座をかくような姿勢ではそのまま沈んでいってしまいますからね。既得権自体が陳腐化していて、マスが魅力に感じなくなっているのは確かです。

そして、前半の話につなげます。
 ANNを聴きたいけど今更カセットテープでガチャっと録音ボタン押して寝るなんてことできません(というかラジカセがない!)。でも、聴きたいのです。だからおそらく著作権侵害しているであろうと思っていても、アップする人がいて、私のようにダウンロードして聴く人もいる。
けれど、それが最近、放送局が指摘して(要は動画サイトの中の人にチクって)違反だとアカウントごと削除するような措置が取られるようになりました。聴いてる側からすればチャンネル登録が消えてしまっているので、検索し直して探したりします。コレ、意外と手間です。
チクる気持ちは理解できます。著作権は放送局ですので。でも聴くファンはいる。つまりニーズはあるわけですから、そこの穴埋め?ソリューションって言うの?こういうこと?ビジネスチャンスは多分にあるのです。
それを考えてのアカウント削除アクションかもしれませんが、さきほどの既得権にあぐらなら、ラジオメディアは残念ながら終いです。
アーティストや著名人が、テレビメディアとは違った1面を見られるのがラジオのいいところなのに、ホントに終いになっちゃうのなら、残念でなりません。
ラジコが4月から有料で全国60局の放送を聴けるようになりました。
ソース:ラジコ、全国どこでも番組聴取…有料サービスで
こういった動きは歓迎です。ホントはこれをテレビでもやってほしいのに、といっつも思ってるのです。
メディアは今後、絞られていく時代に入ります。それで無くなるなら、無くなるのを指くわえて待っているのなら、新しいことやってそれでたとえ淘汰されてしまっても、勇気あって素晴らしいと思うのです。メディアは発信するやり方をもっと行動力で変えていけると私は信じてます。
だってテレビっ子だったしラジオっ子なんだもん!(^^)
 

ラジオが好きだ!

ラジオ少年、兄さんになっても!
 通勤や仕事での移動中、ラジオを聞いてます。リアルタイムの電波では朝の通勤中に地元のFM「K-MIX」を。番組進行であとどのくらいで会社に着くのかわかったりするので便利です。あるいは渋滞気味の時、このコーナーが終わるまでにはここまで辿り着いてないとちょっと遅いぞ!なんて(^_^;)
実は根っからのラジオ好きでして、特に深夜放送好き。中学生の時に買ってもらったラジカセで眠らずに聞いてました。それよりも前、起源は小学校5年生の時にニッポン放送聴いてた記憶。土曜日に高田純次がパーソナリティ、交通情報の時にかかる曲は光GENJIのSTAR LIGHTでした。なつかし~
そしてどっぷりラジオに浸かったのは高校受験の時。ANN(オールナイトニッポン)を聴いてました。今思えばよくラジオ聴きながら勉強してたなー、と。ま、熱心なのは勉強ではなく聴く方が専らでしたね(^^)
ラジオは聴きながら別のことができる魅力があります。今も料理しながら、嫁さんも家事しながら。こうしてると手間のかかることが時間を忘れてくれるのでストレスフリーで完了しちゃってるのです。アラ不思議。
そしてそのANNは今でも聴いているのです。しかも日中の移動中に。どうやって!?明日につづきます。 

敵は本能寺じゃなくて己の寺にあり!

弓道とアーチェリーの違い
 高校時分、部活で弓道をやっていました。動機はおじいちゃんがやっていたらしい、から。神戸で造り酒屋?酒問屋?をやっていた頃、自宅に小さな弓場があったそうです。自宅は火事で消失してしまったので私は見たことありません。そんな動機で始めました。
入学式の日、体育館通路の側溝が見えず(背が高いので足元見えないのです)体がハマるように転び込み、初日から足の甲にヒビを入れてしまいました。
初日から松葉杖で高校生活スタート。部活見学もロクにできませんでしたが、最初から決めてたので迷わず入部。(スミマセン、ここの下りいらなかったですね。足元見えないくらい背が高いとゆー自慢でした(^^ゞ)

よく弓道とアーチェリーの違いは?と聞かれることがありますが、ざっくり違いを話すと、
・アーチェリーは誰でも当てることができる。(だから中心に近いほど得点が高いルール)弓道はカンタンに当たらないので当たった数で競うルール。(アーチャーの方、間違ってたらスミマセン)
なのです。
弓道は「射法八節」という型ができていないと当たりません。(※弓道では”当たる”は”中たる”を使うので以後中たるとします)なので、欲かいて”中てよう”とすると当然中たりません。また射法八節の「引き分け」、つまり弓の弦を引いて離す前の状態になった時、「会(カイ)」という型に入るのですが、「会」の充実を以って「離れ」に移ります。ここではじめて矢が放たれて的に向かっていくのです。この「会」が時間にして10秒前後保ち離すこととなるのですが、さきほどの欲があったりすると会はなくなるわ、中らないわで師匠に怒られます。

また弓道の試合は野球やサッカーのような対面試合ではないので、”相手が弱ければ勝ってしまう”という側面は弱く、地方大会から県大会に上がれるのも規定の数を中てているチームが出場できます。なので全チーム県大会に出られるチャンスがあるのです。つまりトーナメント制やリーグ制とはちょっと異なります。

敵は自分のココロの中にあり
 師匠やチームメイトのおかげで高校弓道で取れる段位の弐段を取らせていただき、地方大会ですが優勝することもできました。
しかし試合より結果よりも、弓道から学んだことの方が私には大きかったです。それは「己に克つ」ということ。つまり、ライバルは自分の弱い精神と対峙して克つことです。
実は地方大会で優勝した時、表彰式直前まで賞状を辞退しようと思っていました。
試合は4本2セット、計8本の中った数で上位入賞者を絞ります。
この日、私は8射皆中しました(プチ自慢です。)つまり全部中ったのです。
ついで言うと最後の1射は、団体戦の県大会のキップもかかってました(すごいプレッシャーです)中たると優勝決定戦と県大会出場、外せば何もなしの瀬戸際でもありました。

最終的に、優勝決定戦は私と他校の1人の2人。優勝決定戦はサドンデス形式で行われます。
3回目で相手が外し優勝が決まり、最終的に試合では1本も外さなかったのです(ココも自慢です)。
しかし、自分の中では型に納得出来ないのに”何故か中って”しまっていて、それが許せませんでした。
なので賞状を辞退しようと思っていました。
しかし、試合は学校の代表で出ているもの。団体戦でも県大会にかかっている、のを言い聞かせ賞状をいただきました。今思えば素直に嬉しかったんですけどね。
当時恋人もおらず黙々と弓だけ引いてたので、誰に見せるわけでもなく、、、ってそれじゃ弓の精神も何もないじゃないか!(^_^;)

とうことで、今でもライバル設定は自分です。自分に負けていないか、弱音に甘んじていないか。それが指標になってます。
余談ですが強い人ともなると、弦を離せない自分に負けて「負けました」と試合を辞退してしまう人もいるそうです。
それと弓を引いていた頃は、腹式呼吸が前提になので自然と腹式呼吸が身につきます。日常の呼吸法も腹式呼吸になるので、自然とお腹がへっこみますよ! 

クルマハック!ヘッドライトウォッシャーって使ってますか?

デザイン的にお好みでないのに増えている理由
 今日は休日なのでゆるいネタを1つ。クルマをお持ちの方、もしくは仕事などで乗っている方、「ヘッドライトウォッシャー」って使ったことありますか?というか知ってますか?
nashijiru
↑そうそう、これです。ヘッドライトのカバーについた汚れなどを洗い落とす機能です。昔はオフロードタイプのクルマによく装着されてました。悪路を走って泥がついた時に洗い落とす、なんて使い方でしょうか。
ところが最近ではオフロードタイプのクルマだけでなく、フツーのクルマにもよく付いてます。
ヘッドライトが目なら、このポコっとなっているのは涙袋といったところ。でもデザイン的にポコっとしているので、あまり好きではありません。それがたくさんのクルマに!?どうして!?装備増やして見栄張ってるの?う~んナゾ…でした。
ところが先日、カーディーラーのメカニックの方とそんなお話をしていたら、真相が解けました。
最近のヘッドライトはLEDを使用しているクルマが増えたからです!
あ!?これだけじゃわかりませんね。もう少し深堀りします。(むしろこれだけでわかる人は業界関係者!?)
従来のヘッドライト、ランプはハロゲン球やHID(キセノン)球を使ってきました。ハロゲンは電球色、HIDは蛍光灯色と付記ふればイメージしやすいでしょう。
これらの球は、熱を帯びます。一方のLEDは熱をほとんど帯びません。 だからです!(^^ゞ
熱のある/なしで、ランプカバーに雪など表面凍結系のものが付着した際、それを溶かせるか溶かせないかという課題が発生します。
ハロゲン・HIDは熱があるので溶かせて、LEDは熱がないので溶かせない。なのでLEDヘッドランプ装着車はヘッドライトウォッシャーで洗い落とせ!ということだそうです。
まだ保安基準(クルマとして認められる法令基準)化までは至ってないそうですが、そのうちなるでしょう、とのこと。ま、保安基準以前の生産車は、LEDランプ車でもウォッシャーついてなくても車検通らないなんてことはないのですが。。。
ということで、増えてます!ヘッドライトウォッシャー!(-_-;)うーん上級グレードになればなおさら装備されることになるのか。。。ウォッシャーじゃなくて他の方式で溶かすこと考えてくれないかな。
ちなみにメカニックの方、「凍ったもの落とすったってウィンドウォッシャー液だし熱湯でもないから、落ちないよ!」と笑い話になっちゃいました。
もしヘッドライトウォッシャーが付いているなら、せっかくなのでちょっと使ってみてください。ココロの汚れくらいなら、落ちるかも!?

 

明るいニュースがあったらいいな

明るいだけ、のニュース番組ですよ
 ※10分タイピングしてます。
 ニュース番組って、性質上仕方ないのかもしれませんが、事件・事故や社会の課題・問題を浮き彫りにしてます。
テレビ番組が暗いニュースばかり報道していると、”世の中は暗い”と脳に情報を植え付けてしまいます。
つまり、脳にネガティブなマインドセットしちゃうので、その観点からすればいいことではないのです。
さらにテレビは発信している情報をただ観ている。ということから思考停止させてしまっているのですね。だからか最近はテレビを観ていません。とあるニュース番組を観ていても、明るいトーンで話しているのってスポーツコーナーくらいで、あとは低いトーン。物静かな解説。脳に教えたくなくもなります。なので、テレビも最近では録画しているものしか観てないのです。
むしろ、明るい話題、ポジティブなニュースだけしか報道しないニュース番組があってもいいかもしれません(か)!?
発想が貧困で申し訳ないのですが、地方ケーブルテレビの地域の話題的なものをイメージしてしまい。。。
でも、そんな30分、15分番組でも構いません。脳に”社会は明るいニュースでいっぱいなんだ!”とマインドセットできる番組があると嬉しいのです。横並びな報道で勝負するよりも、斜め上を行くような番組で勝負しても面白いと思うのに。
そんな番組、どこかないかなぁ。。。 

いつだって素直な気持ち

楽しく生きてますか?
 先日、facebookで「幸せに生きる為に自分にしてはいけない15のこと」という記事を紹介しました。
”すべきこと”、よりも”してはならないこと”、つまり断捨離や削ぎ落とすことで身軽にし、幸せに向かおう。ということです。
このサイトのリンクは最後に紹介しますので、後で読んでみてください。
私はこういった記事を読む時、「傾聴の姿勢」と「素直な気持ちで向き合うこと」を大事にしています。
できる/できないは後にしておいて、先ず受け取るのです。これができるかできないかで読んだことすらムダになるかならないかが関わってきます。常識や固定観念に囚われず、先ず受け取ってみてください。よく「感化されすぎ!」なんて口にする人は受け取ることを拒否しているはずです。そういう人から私を見ると、感化されすぎてる人に見えるはずですが、実はそうでもないのです。

子供の頃の気持ちをふたたび 
 そしてこの記事を読んで、人生って制約が多いのだなぁ、と思いました。それと同時にその制約は社会や他人といった外部環境よりも、自分自身の内部環境の方が強いこともわかりました。つまり、自分でブレーキをかけてしまっている、ということです。
言ってしまえば、子供の頃を思い出し、もう一度素直な気持ちで行動することができたら。子供の頃は自由やワガママだったかもしれませんが、そこに大人のエッセンスを加えて、(この場合だと自己責任とかでしょうか)行動することができたら。自分のやりたいことを自己責任で実現できるはずです。
そんなの難しい、理想だけ!なんて思った人は大人の気持ちだけで判断してるはずです。子供の頃の気持ちの記憶。今一度思い出してみてください。

参照サイト:幸せに生きる為に自分にしてはいけない15のこと

あしたの日本その2

興味深い考察をされているので
 昨日のつづきです。国交省のグランドデザインと2050年人口について考察されている方がいらっしゃいました。
先にざっと読んでいただいた方がいいかもしれないので、まずはリンクを。
例の人口調査結果がどのくらいヤバいかデトロイトと比較してみた
興味深かったのが、モータリゼーション産業が衰退してしまったデトロイトと日本の人口推移を重ねていることです。
デトロイトと日本の人口推移を重ねたグラフ(引用元は上記サイトと同じ)
デトロイトの人口ピークは1950年。日本の人口ピークは2010年と60年のブランクはありますが、ほぼ同じような形で人口が減っていくことがわかります。
それを踏まえた上ですでに人口が衰退してしまったデトロイトの現在を見ていただくとこんな感じです。
惨めな都市1位のデトロイトがかなり世紀末状態だった…(参照元NAVERまとめ) 
わかりやすいですね。日本が60年ズレて同じ状態になるかということでは当然ありません。デトロイトはあくまでも1つの街です。しかし、このままではいずれか放棄しなれけばならない自治体が出てくると予測できます。
政府で提唱するコンパクトシティは人口動態によって”小さくまとまる街づくり”になると思いますが、一方で放棄せざるを得ない地区も出てくるのは当然です。離れた数世帯のインフラを維持するために年間数億円かかると最近耳にしました。
これが、人口が減ってしまった地区の末路です。デトロイトのような光景がこの先どこかで出てくる。
これを仕方ないで子供や孫に継承できますか?政治家の無責任発言や先送りなど避難する人が、同じように無責任に先送りしているにすぎないのです。
ではどうしたらいいのか。やっぱり子供がたくさん生まれて幸せに暮らせる環境を大人が用意すればいいのです。
それだけです。
最初のリンク先の方は、私も同じ考えであって、非常に共感しました。特に出生率回復の試算なんて今からでもできることなのです。
前職でマーケティングに従事させてもらって、色々マーケット(=市場)やマーケティングのことについて勉強しました。今はマーケットのパイに合わせた販売戦略など打ち立てられますが、マーケットと供給側のバランスが崩れる日がこのままではいずれ訪れます。
そうなると堰を切ったように競争の名のもと、体力のない企業が消え、どんどん縮小化の一途を辿ります。するとデトロイトのような景色がぽつりぽつりと出てくるのです。
それよりも、マーケットを増やすことを考える企業はいないのか。CSR(企業の社会的責任)においてマーケット=人口(この場合は生まれてくる子供)を増やし育てる施策に出る企業はいないのか。
もっと調べてみますが、今のところ本気出しな施策が見えてません。例えばCSRの結果、地方に分散移転するなど大胆な施策があってもいいと思うのです。でないとマーケットなんて増えないし育たたないと思うのです。 
※ちなみにこの件については3年くらい前からずっと悩んでいます。 

あしたの日本

イメージしにくいことですが。。。
 先日、人口減少のニュース絡みで国土交通省がこんな試算を発表しました。
日本の6割、無人地域に 2050年、国交省試算
要約するとこんな感じです。
日本の面積38万平方キロメートルを1平方キロメートルごと38万ブロックにわけてみて、人口推移を試算。

現在は18万平方キロメートルに人が住んでいるが、2050年(今から36年後。干支3周分)には20%、つまり3.6万平方キロメートル上から住んでいる人がいなくなり、60%のブロックで人口が半分になる。→ということは18万から3.6万引いた14.4万平方キロメートル上で人口が半分ということ?

国土の無人地域が現在の53%から62%に拡大するという試算。(間違ってたら指摘してください)

で、国交省としてはこの試算から将来の道路整備とかコンパクトシティとかのグランドデザインを検討していくようです。
国交省が試算した2050年には人口が9700万人になるということです。現在が約1.2億人ですから2300万人減る計算になります。
人口が減っていくこと、それは国を維持できなくなっていくことにつながっていきます。だから移民で補充するだ!なんて意見が出てくるのです。論理的には間違ってはないかもしれません。
でももっと出生率が上がる施策は打てるはずです。社会保障でいえば、子供が増えるための投資はまだまだできるはずです。
首都圏に住んでいる人は、”人が多いから実感ないね”が正直なところでしょう。
地方では”田舎だからご老人多いよね。”や”子供は都会の大学に行ったら帰って来ないって”なんて話題になってしまっているのではないでしょうか。
日本は今、ゆっくりと人が減っていく下り坂にあります。しかし、それもしばらくすると今度は急に人が減っていく下り坂に変わります。
本当にそれが日本の、というよりも私たちの子供、孫に継承すべき姿なのかで想像してみてください。
私は地方のコンパクトシティ化よりも、大都市圏のコンパクトシティ化から始めて、大都市圏への偏りを分散させた方が繁栄の道筋が見えると思います。
自分たちが築いてきた文明によって人口が増えにくい社会を作っているのだとしたら、空しくて仕方ありません。
でもまだチャンスはあるのです。希望は死ぬまで捨てませんよ!いや、死んでもまたすぐに人間に生まれ変わってやる!(^^)
明日につづけます。