【新作】人生は、映写機のフィルムのようだ
愛犬を亡くし、想い、気づいたこと
我が家の愛犬は、結婚と同時にやってきました。その後、下に(人間の)娘が2人できて、長男となり、いつもそばに寄り添い気遣い、絶対に怒らない。いいお兄さん。
そんな愛犬が2度倒れ、死にかけたことがあります。1度目は様子がおかしくなり、突然倒れ、動物病院に搬送。先生から「助からないです」と唐突に言われ、もうすぐこの場でもう死んでしまう宣告が理解できませんでした。
しかしながら奇跡的に一命をとりとめました。スポーツドッグは老年期に入ると心臓に負担がかかり、突然訪れることもあると言われました。その後は元気になり、何事もなかったようにご飯は食べるし散歩も相変わらず。気になるそぶりもありませんでした。
2度めは夏に熱中症で倒れました。自宅で、冷房かかっているのに(^_^;)動物病院に搬送して、とにかく体温を下げるということで、氷水で絞ったタオルで冷やす処置。あの時先生方、ものすごく手が冷たくなったと思います。1週間ほどで退院し、症状も回復しました。
それから翌年の冬、愛犬は亡くなりました。せめてもの救いは、最期を家族で看取ることができたこと。
体調を崩し、入院して数日後に動物病院の先生から連絡があり、嫁さんたちは動物病院に向かい、私は60km離れた場所で仕事をしていたので、”あぁ、間に合わないな”と半ば諦めていました。
しかし先生が蘇生処置をしてくれたおかげで到着した時には意識もありました。
家で看取りたい。クルマに運んで家族で帰りました。
その数時間後に、愛犬は天国に行きました。
家族で看取れたこと。自宅で看取れたこと。悲しい気持ちでいっぱいにして看取るのは嫌だったので、ありがとうと感謝の言葉で見送れたこと。子どもたちには肉親が亡くなることを経験したこと。看取ることは、私も嫁さんも初めての経験でした。
体も暖かく、いつものふかふかの毛。私はその晩、最後の添い寝をしました。
今でも時々、思い出します。あぁ、あのふかふかの体を、ギューっとしたいなぁ。
時々、堰を切ったように涙がこぼれます。それは父親を亡くした時に経験してたので、いずれ訪れるだろうと思っていました。
毎日ごはんとお水をあげて、遺骨に話しかけ、出かける時も「行ってきます」と声をかけます。
夢に時々出てきてくれたらいい。先日、実家にいた愛犬と一緒に出てきた夢を見ました。歳が離れているくせにライバル視していて、時々ケンカっぽい態度もありました。夢でもそんな態度で、”夢でもかよ!”なんて思ったのを覚えています。
人生はフィルムだ
そんな時、ふと気付いたことがありました。人生は映写機のフィルムのようだなぁ。巻き切ったら終わり。人によってその長さは違う。巻き戻すことは、できない。
巻き切ったフィルムは、誰かから見たら思い出。故人を思い出す時、故人のフィルムを引っ張りだして、その時、自分のフィルムにつなぐ。そうすることによって、その時のフィルムが生き返る。
そう思うと、故人の思い出=フィルムは大切にしたいものです。年老いていくと記憶すら曖昧になっていきます。しかも大切にしたいフィルムはどんどん増えていく。そしていつか、自分も巻き切ったフィルムになる。
そんなことを気づかせてくれた、愛犬でした。